6 建前の一人歩き 〜 「責任」「努力」「行動」


私が集団ストーカーにさらされるようになって学んだことは、加害者側にとって扇動行為、 つまり複数の他人を煽り立てて、自分の思うとおりに動かそうとする場合、自身を正当化させる (「自分は悪くない」という体裁を作る)大義名分を持つことが、非常に重要だということです。

よく「そんなに自分が正しくないと気がすまないのか」だの「そんなに人目が気になるのか」 だのと言う中傷もありますが、それは別に世間の道理を説いてるのでもなんでもなく、 もともと何ら正当性の無い嫌がらせを「何となく」という雰囲気だけで行うわけですから、 その辺の事情に関心をもたれるとセガのような加害者側にとって都合が悪くなるという、 ただそれだけの話でしかありません。

確かに周囲に流されず自分を貫いていくことは大事ですが、 それはあくまで「大変でも乗り越えていかなくてはならない」という意味合いで考えるべきであって、 「問題自体が大した事ではない」という意味の話ではありえません。 そうした事で闘った経験を少しでも持つ人ならば、まずこういうセリフは出てこないでしょう (自己暗示で乗り越えようとするタイプの方は別でしょうが)。

人間が社会生活を営む生き物である以上、 自己の正当性を得るということを丸っきり無視してしまうことなどできるはずがないのです。



特に私の件の場合、セガの行ってきたことを一言にまとめれば、

「自己保身のために会社のお金を年間何千万円と私的に使い込んで探偵業者を雇い、 自社商品のユーザーの個人宅に不法侵入し、個人的欲望を満たすため男性の部屋の盗聴盗撮といったのぞきや、 そこから盗み出した個人情報による利益の収奪を十数年以上行った」

という話になります。

言葉にするとどう見ても薄気味の悪いこの行為を正当化し、支持を得るには、相当なウルトラCが必要ですが、 不特定多数の人間を巻き込むためにこれは絶対に必要なことです。

そして驚くべきことに、このウルトラCを可能にしてしまうのが集団ストーカーなのです。



といっても、とりたてて高度な計画が行われるわけではありません。

要するに、標的となった人間を周囲から孤立させて状況を把握させないようにしておいて、 後は誹謗中傷を継続的に流し続けるという、 悪口の洪水とその勢いだけでなんとなく雰囲気を作ってしまう単純極まるゴリ押し作戦というのがその実情です。

ただし、さすがに年間数千万円以上が投下され、多くの人員が稼動して行われるだけに、 ごく普通の一般市民にとって、こんなものの標的にされてははたまったものではありません。

私の場合も探偵業者(勿論セガ自身も含めて)によって、 次から次へとわけのわからない言い草が押し付けられましたが、 こちらに反論する機会を与えないという卑怯なやり口のため、それらがどんなに幼稚な言い草であろうとも、 その場の雰囲気だけで「なんとなく」パワーが備わってしまうという状況でした。



無論、私自身はそれらに納得したことなど一度もありませんし、 機会さえあればいつでもそれらに反論していたと思います。

そこでここでは、私がこの十数年受けたセガによる誹謗中傷のお題目を一つ一つあげ、 それが如何に手前勝手でいい加減なものであったかを説明していきたいと思います。



@ 責任


責任は私への誹謗中傷で最も頻繁に使われたお題目で、 主に私が「1」で行ったメーリングリスト上での発言について、「自分の行動や発言に責任感がない、無責任だ」 という使われ方をしました。

この責任という言葉は、サラリーマンをはじめとする組織に属する人間には非常に効果的で(日本人は特に)、 この言葉一つで大抵の社会人は日頃自身に課せられたノルマや立場を重ね合わせ、 深く考えることなく反射的に丸めこまれてしまうようです。

実際、この言葉を当初から使い始めたのはセガ自身でした。その後の集団ストーカーを展開させるに当たっても 「責任がないからそんな事を言えるのだ」といった事をセガ系ゲーム雑誌を中心として連呼しました。

この事は、セガ自身がサラリーマン的体質の極端な歪みの素養を抱えたタイプの組織、 即ち「権力への欲望に異常なまでに執りつかれた集団」であることを匂わせていると言えます。



では私自身はその「責任」という言葉にどう感じていたかといえば、最初から丸っきり納得できないでいました。

というのも当初、セガが言い張るこのお題目は、以下の二つのニュアンスが中心となっていたからです。


一つは「責任が無いからそんな事を言えるのだ、責任を取れ」という内容のもの。

そしてもう一つは「あんな奴の言う事などなんら大したことはない」というものです。


一見して、この二つが非常に矛盾していることがお解りになるでしょうか。
「責任を取れ」と言うのならば、それは私の発言内容が「大したものであると認めている」事になります。
逆に「大したことなど何も無い」というのならば、そこに「負うほどの責任など無い」事になります。

私からすれば「だからどっちだよ」としか言いようが無く、これはセガが集団ストーカーなどという、 直接話をする事を避けたやり方をとりさえしなければ、一番最初に確認していたはずの部分です。



勿論、世の中にはナワバリ意識を第一に考える人もいます。
関係の無い部外者が口出しをすることではないという考え方です。 そのこと自体は私にもわからないではありませんし、セガが私の自宅を盗聴し、 プライベートの発言内容を方々に振りまいてきたのは、 そうした意識の人たちを刺激して集団ストーカーに利用する為です。

しかし、この場合私はセガの商品にお金を払っている顧客である上に、 当時セガ系ゲーム雑誌では毎号のようにセガの企業戦略についての記事を巻頭で掲載させていました。 当時のゲーム雑誌は多かれ少なかれ、そうした話題を大きく取り上げてはいましたが、 セガ系ゲーム雑誌での論調は常にそれら企業戦略についての重要性や危機意識を訴えるもので、 セガ自身も必ずインタビュー記事を掲載させて、大いに自社の企業戦略について啓蒙していました。
つまり、そうした自社の企業戦略を話題にさせてきたのはセガ自身と言えます。



ならば、熱心なユーザーがそうした方面に考えをめぐらすのは当たり前ではありませんか。

当時は(もしかしたら今もそういう人はいるかもしれませんが)熱心なセガユーザーのことを 「セガ信者」などと呼ぶ風潮もあり、私自身もそういう人種の一人でしたが、 ユーザーは別にセガに洗脳されているわけではありません。自由な意志を持った人間なのです。

第一、ゲームをやるのは子供だけとは限りません。様々な分野を学び、 様々な職業に従事している人が数限りなく存在する以上、そうした話題づくりを積極的に行っていれば、 当然、中には自身でセガの提示した内容を独自に考察できる人間も存在するはずです。

にもかかわらず、顧客であるユーザー側がそこに目を向け、自分の考えを示した途端、 そのユーザーに常軌を逸した陰湿な犯罪をもって応えるとは、一体どういうことなのでしょうか。

「単に儲かりそうだから商売にしているだけで、ゲームなど何が面白いか全く興味がないし、 顧客に合わせて商品を考えるなど面倒くさい。 だが、他所の会社がそれを汲み取り成功するのはもっと気にくわない。 顧客は余計な考えや嗜好や要望など持たず、ただ自分たちの言うことに平伏し、 家畜のように黙ってこちらが出す商品に金を払っていればそれでいい」

まさか、そんな風に考えているとでもいうのでしょうか。



そこまでは行かなくとも、下から活発に意見や行動を起こされることを極端に嫌う、 権力第一の社風がセガにあったのは、一連の反応を見ても間違い無いでしょう。

正直「全体の統率」という建前もありますし、それ自体はどこの会社にでも多少はありそうな話です。 ぶっちゃけた話、社内でそういう風土があり、それに相反する社員に様々な暴力を振るう風潮があったとしても (事実そういう噂には事欠きませんが)、それが社内ですんでいる分にはそこで働く社員の問題なのですから、 別に知ったことではありません。

会社が自分の家に盗聴器や隠しカメラを仕掛けようが、 盗聴されている会議室の中でしかミーティングができなかろうが、 当の社員がそれでいいのなら別にかまわないでしょう。

しかし、自分たちが展開してきた広告活動の結果として、顧客側が一言持った途端、 その自社製品の顧客にまで馬鹿げた金額をつぎ込んで組織犯罪を行ってくるセガの対応は、 あまりといえばあまりにも常軌を逸した身勝手振りではないのでしょうか。仮にも上場企業でしょう。



とはいえ、私もネット上での発言が何でもかんでも許されるべきだとは考えておりません。

企業経営者や専門家のように予備知識を持っている方々なら、 自分自身で正確に物事を判断する力があるからこそ、その仕事についているわけですから、 問題にする理由はないはずですが、一般のユーザーはそういうわけにはいきません。

たとえ「個人的意見」という断りがあったとしても、噂が噂を呼び、 そこからどんな流言飛語に結びつくかはわかりませんし、単なる誹謗中傷(それこそセガが行ってきたような) まで正当化されることになりかねません。

無用の混乱を避けるためにも、一般ユーザーに対して安易な発言は慎むべきで、 発言する際にはしっかり責任を覚悟しなければならない。確かにそういう考えもあるべきでしょう。


※  ただし「1」での私の発言に関しては、 混乱が起きるどころか一切の発言が停止したことは前述の通りですし、 話題に上ったのはむしろ専門家の間だけであった事、 この発言についての問い合わせもまた一つもなかった事を改めてお断りしておきます。






ではもしも、私が私の発言に重大な責任があることを認め、セガの言うとおり「はい。おっしゃるとおりです。 ぜひ私に責任を取らせてください」と言い出したらどうでしょうか。





セガのガスライティング工作が開始された当初から、この責任という言葉に乗せられて、 「責任取れ」の大合唱に参加する人たちは、それこそ山のように存在しました。
では具体的に「責任を取る」とはどういう事を言うのか、どれほどの人が理解していたでしょうか。

額面どおりに考えるのならば、それは勿論「セガの経営に参画し、その舵取りを行う」ということになります。



実を言えば、私は「1」以降、まだ集団ストーカーを仕掛けている相手をセガだと認識していないこともあって、 何度かセガの社員募集に応募したことがあります。最初は事態が飲み込めておらず、 自分に集団ストーカーを仕掛けているのがセガだと理解していなかったため 「やはり責任を取った方がいいんだよな」と思ってしまったからです。

しかし残念ながら、その当時の結果はいずれの場合も不採用とのことでした。

「責任を取れ」と自分で言っているのですから、セガは私にその機会を与えなければならないはずですが、 私に直接それを求めてくるどころか、私の方から申し出た場合にもその機会を閉ざしてしまっています。

これは一体どういうことなのでしょうか。



「私への連絡先がわからなかった」もしくは「応募してきたのが私だとわからなかった」からでしょうか。

これは絶対にありえません。

「1」での私の発言はメーリングリスト上で行われました。従ってメールアドレスは確実にわかるはずです。 しかも、そこでの発言を、私は本名をで行いました。散々問題があるとしておきながら、 私の応募に気がつかないなどということはありえないでしょう。

ましてやセガは、その後十数年、私が日本中どこにいようが追い掛け回し、 職場への介入や自宅の留守中に不法侵入まで行ってきた位です。

こちらが望むよりはるかに数多く、私への接触手段を持っているはずではないでしょうか。



では単に「私に必要な能力が不足していると判断した」からでしょうか。

なるほど、残念ですがそれは十分にありえる話です。

ですが、仮にその時点で能力が不足していたとしても、人は学ぶ動物です。その後の学習で、 私がそれを満たすよう成長する可能性もまた十分あるでしょう。そして事実15年前、 私は美術大学への進学も考えていましたし、 実際に企業経営に関する資格試験受験のために専門学校に通ったこともありました。

ところが、セガの集団ストーカーによって、私は美大どころではなくなってしまいましたし、「責任を取る」 という意味ではより目的に近い専門学校に通った際には、その学校に対してまで工作を行ってきました。

これでは責任を取るための準備ができません。



それとも、「私に会社経営に必要な社会人経験が不足している」からでしょうか。

なるほど、それももっともな話かもしれません。

しかし、私がこの十数年、まともに仕事に就業できなかったのは、 セガが行った集団ストーカーによる就職活動の妨害、および職場環境への嫌がらせのせいであることは、 これまで書いてきたとおりです。

そして実際、私には「セガの嫌がらせの無い状態での社会人経験」というものがほとんどないのです。

これでは責任を取るための経験が得られません。



こうして見てくると結局私に責任が取れない理由は、全て「セガが行ってきた集団ストーカー活動が原因」です。
自分で責任と言ってきたにも関わらず、何故こうした矛盾が生じるのでしょうか。

それは、一言で言ってしまえば「本音と建前が違う」からです。

つまりセガにとって一番嫌なのは、「責任をとられない事」ではなく、むしろ、 「他人に責任をとられてしまう事」(手柄を奪われてしまう事)だったのです。

そうなると、セガが自社の企業戦略をとくとくと語っていたのも、 読者にそれを伝えて意識を促していたのではない事になります。自分で話題を提供しながら、 ユーザーがそこに踏み込むと激しい憎しみを抱く理由。

結局セガは、誌面を通して読者を相手に「単に自分の立場を自慢したかった」「ふんぞり返ってみたかった」、
ただそれだけだった事になってしまうのです。

私にすれば、なんという大人なんだという気持ちを禁じえません。



と、ここまで書いてくると、人によっては私が実際に「セガを乗っ取ろうと考えていたのではないか」 という誤解をする方も出てくるかもしれませんが、はっきり言って、 私はそんな事にこれっぽっちも興味はありません。
それらはあくまでセガが勝手に妄想した産物であり、実際の私の考えとはまるで違います。

確かに学生時代の私は「将来ある程度の経験を積んだら、自分で起業してみたい」 という事を考えていた時期もありました。しかしそれは自分にやりたいことがあり、 それを仕事として実現させることを考えていたから起業という選択肢を意識していたのであって、 他人の作ったサル山の頂上を目指す事とはまるで関係ありません。

勿論、もし今セガが私に責任をとる場を用意したとしても、私は丁重にお断りいたします。
上記の通り、私には元々責任をとやかく言われる筋合いが無い上に、 保身や私利私欲のためにのぞきに耽る企業と係わり合いになるなど、まっぴらだからです。

セガにとっては「金と権力がすべて」なんでしょうし、 自分がそうなんだから企業戦略なんかを考える人間は、 自分と同じ事をたくらんでいるに違いないと思い込んでいるんでしょうが、

(まあお金については私にも多少の物欲はありますが、それでもセガには遠く及ばないと思います)

私がそのメーリングリストに「1」の書き込みを行えたのは、学生時代から日常的に産業新聞を愛読していて、 よくそこで掲載された新技術同士を結びつければこんな事業ができるということを考える習慣 (スポーツ好きが好きな選手でドリームチームを考えたり、 映画監督志望が自分の脚本に現実の役者さんをキャスティングするようなものです) があったたからにすぎませんし、そもそもそのメーリングリストで企業戦略についての発言を行っていたのは、 私だけではなくその場の参加者全員です。

「マスコミの受け売りではなく自分で考えた」という事を除き、私自身が特別な行動をしたわけではありません。

いずれにせよ、セガと同類にされるのだけは勘弁していただきたいものです。



ところが、です。

ここまで私への集団ストーカー行為を正当化させるためにセガが使ってきた主な建前、 「責任」について書いてきましたが、後になって、

「セガがストーカーを行う事」と、 「私の書き込み」とは、実際には全く何の関係もない

ということに気がつきました。
そのきっかけが、次にあげる言葉です。



A 天才


セガは私のストーカー情報を流布させるために、この言葉を二つの使い方で利用しました。

一つは私が天才で、「天才の言う事は重要なので耳を傾けなくてはならない」という、 盗聴情報に価値を出すための使い方。

もう一つは私が「自分を天才だと勘違いしている馬鹿である」という、誹謗中傷のための使い方です。

その結果、私は自分のプライベートでの言動や個人情報を勝手に晒されているにも関わらず、 まるで私が主体的にそれを行ってでもいるかのような話にすりかえられたり、 ろくに面識も無い相手からいきなり対抗意識を燃やされたり、 ほとんど嘲りと変わらない説教まがいの中傷を日常的に受けることになってしまいました。




※ 特に芸能界関係の人や競技関係の人がこうなると、とにかく一方的に張り合ってきたり、 如何に自分がお金を持っているかという見栄自慢が始まってしまい、この問題の本質である 「企業の組織犯罪」という側面がどこかに行ってしまうため、ほとほと苦労させられます。
当然ながら、私はそうした人たちと全く面識が無いのは勿論、 この問題と何の関係があるのか分からない相手ばかりです。 私からすれば「あんたらだしぬけに何なんですか一体」としか言いようが無く、 全くもっていい加減にしてほしいものです。






先にお断りしておきますが、私は自分については勿論、 他人に対しても天才などという表現を使って表したことなど、生まれてこのかた一度もありません。

確かにこの世の中には、天才と評するのがふさわしい方々もいらっしゃるのは事実ですが、 そういう方々に対してさえ、私は「天才」などとお呼びするのに抵抗を感じます。

これは私の個人的な印象かもしれませんが、安易に天才という言葉でその人を表するのは、 その人の出自や経緯、これまでの様々な経験を無視した、非常にいい加減な物言いのように思えるのです。

私の経験上、そういう方々は自分の仕事にけして自分から妥協をしません。 それは自分の基準での自己満足が基本であるということですが、その自己満足の基準は、 第三者が抱くそれよりはるかに高い、という事なのです。
そういう安易な評判より本質的な価値観を優先する人々が、 果たしてろくな考えも無しに語られる「天才」という言葉に、一体どこまで執着を持つものなのでしょうか。
(もしかしたらセガやセガに同調する人種にとっては、 そういうふうに世の中から注目されたり感心されたりというのは、 喉から手が出るほどうらやましいことなのかもしれませんが)

ありていに言えば、天才などと言う方も、また単純に言われて喜んでいる方も、 私にはあまり利口な人種とは思えないのです。



まして、私自身の周囲にはアート方面の素養で活躍している人種こそあまりいませんが、 一方で単に東大京大というだけなら親戚縁者にも結構いますし、そこで教える側だった人間もいます。 また、親が企業の研究所勤めだったこともあり、そういう人たちが自宅を訪れる事も珍しくはありませんでした。
父や祖父に比べても私は足元にも及びません。

子供の頃からそういう中にいるというのに、 その私が何を今更「自分を天才だと勘違いする」というのでしょうか。 むしろ時には勘違いがどうのと言ってくる人間より、自分の方がその辺のことをわきまえているのではないか、 そう思うことさえあるくらいです。


※ 別に彼らが素晴らしい人格者だと言っているのではなく、 単に良い面も悪い面も現実を見て知っているということです。


要するに、私は天才どころか、はっきり言えば単なる落ちこぼれに過ぎないのです。
(何でわざわざ自分からこんなこと宣言しなくちゃならないのやら)

でもだからと言って、 別に世の中天才以外のやる事が、何でもかんでも無意味、無価値というものでもないでしょう。


セガが何をどう吹聴しているのかは知りませんが、セガが私について天才だと語ったとしても、 それはあくまで私につきまとって得た個人情報に商品価値を持たせ、自分たちの行うのぞき行為を格調高く、 意義深く見せたいと考えているだけですし、逆に天才だとか勘違いしていると言ったとしても、 それはセガが手柄や俗っぽい評判に固執しているだけの話で、私の考え方とはまるで違います。

とにかく天才云々について勝手に言っているのはセガなのであって、 私自身とは何の関係もないという線引きを、はっきりつけていただきたいと思います。




…ところが、実は後になってこの「天才」という言葉について、 自分にも一つだけ心当たりがあることに気がつきました。

それは、あるアニメ番組の中の事でした。

その番組に登場するあるキャラクターは、誹謗中傷とまではいかないものの、 やたらと流出した私の個人情報に即した言動を行っていたのですが、中でも事あるごとに 「俺って天才!?」という発言を繰り返しました。

最初は単に「知るか」と思っていたのですが、ある時ふと、私自身確かにこの「俺って天才!?」 という発言を行ったことがある事を思い出しました。



それは、私がまだアルバイトをしていた頃のことでした。

私はあるイベント関係の配達のバイトをしていたのですが、ある時、 もう一人の従業員と共に配達でワゴン車を走らせている際、初めての場所で道に迷ってしまいました。 地図を見ても現在位置がはっきりせず、どこへ向かえばいいのかわかりません。

時間も迫っていたので、私は強引に見当をつけ狭い裏道を無理に走り抜けていくと、 道は見事、本来向かっている道につながりました。

私は喜んでこう言いました。「やったよ!俺って天才!?」

…確かに私にも「天才」発言を行った事実がありました。それは認めます。

しかしこれ、本当に他人が見て「思い上がった勘違いによる発言」ととるような事なのでしょうか。
状況から考えるまでも無く、これが単なる軽口であること位、普通誰が聞いたって分かるんじゃないでしょうか。



が、実の所、私にとって問題なのは、この「天才」発言があった事自体ではありません。

問題なのは、「この発言を行った時期」なのです。


私がこの発言をしたのは、「1」の書き込みを行う二年近く前になります。
それは私がファンロード誌にセガのゲーム機、 セガサターンについての投稿が掲載されてしばらくしてからのことです。

一体何故セガは、そんな以前の私の発言を知っていたのでしょうか。
これは「2」でも書いた、ファンロード誌での未掲載の内容が、 私が「1」の書き込みを行うはるか以前から流出していることとも関連する話でしょう。

勿論「1」の後このバイト先に調査が入り、その時聞き出した話であることも十分に考えられます。

実際、私の母校や知り合いに次々と探偵業者らしき複数の人物による調査が入っていたのは事実で、 大学時代の恩師の所にも聞き込みがあり、かなり心配をおかけしていたようです (ご迷惑をおかけして申しわけありません)。

しかし、よくよく思い出していくと、 このファンロード誌への掲載の直後、私の周囲にはかなり不自然なことが起こっていました。



この投稿の際、私はこのバイト先でのことを隙間埋めに描き込んだのですが、掲載された後、私が出勤すると、 誰にも教えていないにも関わらず、(表立っては言ってこないものの)周囲の人間はこの事を知っており、 遠まわしに不満を表したりしました。
当時の私は、てっきりこのバイト先の中にもファンロード誌の読者がいて、 この投稿が私ではないかと半信半疑でカマをかけているのだろうかと思っていました。

その後しばらくすると、今度は「東京の会社に通っている」という男性が、 土日のみ週二日の条件で入ってきたのですが、この男性は初対面にも関わらず、やたらと私の事情に詳しく、 かつ非常になれなれしい態度でしたので、私はどうにも警戒してしまい、彼がいる間、 あまり打ち解けることはできませんでした。
結局彼はほんの3週間ほどでやめていきました。

そしてその後、このバイト先では何かことがある度にギスギスとした関係になってしまうのですが、 その原因は上記の人物の後に入ってきたある男で、この男は不自然に周囲を苛立たせる行動を繰り返しており、 しかもある時、私がこの男を交えたゲームで勝った際、私がこの男に対して行ったのと全く同じアクションを、 その後しばらくして稼動したセガの格闘ゲーム中のキャラクターが行うよう実装される、という事もありました。
(当時は「こんな偶然もあるんだな」ぐらいにしか思っていませんでした)

他にも、当時住所を教えてもないのに、複数のゲーム会社から実家にゲームの体験版が届いたりもしましたが、 今にして思えばこれだっておかしな話です。

その後、私はこのバイト先を辞めてしまいましたが、私が「1」で書いたソフト会社を退職すると、 その直後、このバイト先から「また働け」と勧誘する電話が入りました。 当然ながら私は退職したことなど、このバイト先に知らせた覚えはまったくありません。





当時は気がつきませんでしたが、今にして思えばこれらは間違いなく、現在と同じ集団ストーカーです。

そしてこんなマネをする存在は、セガ以外にはありえないでしょう。



つまりセガは、「1」での私のメーリングリストの発言など全く関係なく、 実際には私が気がつくより二年近く以前から、 私へのつきまとい、集団ストーカー行為を行っていたのです!






どうりで、ファンロード誌への投稿が、はるか以前から流出しているわけです。

その事に気がついた時、私は身の毛がよだつような思いでした。

一体セガは、どれほどの間、私に対する盗聴、盗撮、つきまといを行っているのでしょうか。

この二年前(2010年現在から考えると15年ほど前)と言えば、 セガにとって私は本当に単なる一ユーザーにしか過ぎません。にも関わらず、即日で(!) 私へのつきまといが行われたという事は、当時から既にそれは確立された慣習として、 広く行われていた可能性が高くなります。

私のバイト先に入ってきた胡散臭い男たちも、 今にして思えば私の生活をかき回すために送り込まれた探偵業者だったとしても、 そう現実味のない話ではありません。

恐らく、私のようにセガのつきまといの被害にあっているユーザーは、当人が自覚していないだけで、 実際には当時からすでに相当数いたのではないでしょうか。

そして私が「批評家」だのと批判を受けたのは、こうした形で収奪された私の発言が、 私の知らない所でセガの商品の宣伝として撒き散らされてきたためだったのだろうと思います。

当初の私はこのことを全く理解していなかったため、ファンロード誌にたかだか数回掲載された際の事について、 それら「批評家」というような批判を受けているのだと思い込み 「ファンロードに掲載されるというのはそんなに影響力があることなのか?」などと、 間の抜けた勘違いで何年も思い悩んでいました(我ながら本当にマヌケだったと思います)。

こうなると、他にも様々な想像をせざるをえません。

例えば「3」で私が書いた株式会社C・M・Sでの件にしても、 私が本格的に盗撮の被害にあった部屋に入ったのは、入社して三ヵ月が経過してからです。 それまでその部屋は、新入社員の女子寮として使われていました。
あまり考えたくないのですが、 この部屋の隠しカメラは、本当に私が入ってきてから仕掛けられたものなのでしょうか。 本当は私をダシにして、女子寮に隠しカメラを仕掛けたかっただけではないのでしょうか。

何しろセガは現在まで実に15年以上という膨大な期間をのぞきに費やしています。 ここまでのぞきに執着してきている以上、そういう可能性もあながち否定はできません。



いずれにせよ、のぞきや嫌がらせを、まるで社会正義の行いででもあるかのように言おうとする時点で、 既に無理があるのです。
文章にすれば一目瞭然です。

「責任が大事なので、他人の留守宅に不法侵入する」
「責任が大事なので、他人の家に盗聴器を仕掛ける」
「責任が大事なので、隠しカメラで他人の生活をのぞく」
「責任が大事なので、他人の著作物を盗用する」
「責任が大事なので、嫌がらせを扇動する」

いずれも、責任を本気で語るなら、絶対にあってはならない正反対の行いばかりです。



もしかしたらセガの社員にとっては、これは普通のことなのかもしれません。 学校を卒業してすぐこの会社に入った多くの人間は、 自分の家を会社がのぞくことなど日常的という感覚になってしまうのかもしれません。

しかしそれでもやはり、セガという企業の持つ慣習は、理解を超えた、 常軌を逸したものであると言わざるを得ないのが正常な感覚ではないでしょうか。








ここまで長々と書いてまいりましたが、結局セガが「集団ストーカー行為を行うこと」と、 彼らの言う私の書き込みについての「責任」とは、単にそのボルテージを変化させたと言うだけで、 実際には何の関係もないことはご理解いただけたと思います。

私としては、ここまででほぼ目的は果たしたと言えるのですが、 困ったことにセガと探偵業者による集団ストーカーは、 その場の雰囲気でわけの分からない言い草をなんとなく通してしまうため、 それがどんなにいい加減な内容であろうとも、きちんと説明しておかないと、 私のほうに反論できない余地があるかのように思われてしまうのです。

そこで、いささか蛇足ではありますが、私自身の自己防衛の一環として、 以下ではセガが持ち出したその他の建前につきましても、一つ一つ簡単に反論を記しておきたいと思います。






B 努力、「頑張って」という言葉


この十数年で、この努力という言葉ほど嫌いになった言葉はありません。

散々努力と言っておきながら、実際には努力する事(=力をつける事)を全力で妨害し続けてきているだけの上、 それがセガによる不当なやり口の結果だと認識しているくせに、 なかば娯楽としてその尻馬に乗る人間があまりにも多かったからです。

自分がやりたいから、やれるようになりたいからやる事を、 何で他人に恩着せがましく努力努力と言わなければならないのかと言う抵抗もありますし、 逆に「俺が努力を見てやる」などとふんぞり返って個人情報を閲覧してくる業界人もいるのですが、 そもそもその相手を雇ったわけでもない以上、その相手に威張り散らすような権利もまたありません。 ましてのぞきや不法侵入の情報の閲覧や、こちらの著作物の盗用にいたっては、 努力を語る人間がもっともやってはならない行いでしょう。



ただし、努力に関連して、私にも一つ省みなければならないことがあります。

それは「頑張ってください」という言葉です。

私はファンロード誌への投稿などにおいて、よくこの言葉を結びに書いていました。 しかし、一部で「重圧を押し付けられて辛い」「うつ病の人に言うべき言葉ではない」 「他人には頑張れと言うくせに、自分は行動しておらず頑張っていない」といった非難が、 セガのもたらす誹謗中傷に混在していました。

申し訳ないのですが、これらの言い分に関して、私はあまり納得しているわけではありません。

「重圧を〜」について言えば、その気持ちを想像する事自体は確かにできますが、だからといって、 それが本当にわかってしまうべき言い分なのか、私の目から見ると大いに疑問が残ります。


※ ただし、ある企業が下請けに仕事を頼む際、この「がんばって」 という言葉を使ってデスマーチ同然の条件だったり極めて劣悪な条件を飲ませようとする、 という事もあるのですが、勿論そういう時は、 無茶な条件の方を回避し万全な体制で仕事ができるよう交渉する事に「頑張る」べきだと思います。


「うつ病〜」についても、私は心を病んでいたり、 疲弊しきっている相手にそんな言葉を使ったりはしません(当たり前です)。

一体自分がどこまで「バカ設定」にされているのか知りませんが、 俺はあくまで自分の好きな作品や作家さんに「頑張ってください」と言った事はあっても (勿論公表したと認めるものに限ります)、 言うべきでない人に頑張れとは言いません。 (逆に言うべき時は自分の体裁が悪くても言うべきだと思っていますが)

セガや探偵業者、その口車に乗せられた(乗った)人間が何を言ってるかは知りませんが、 少なくとも俺にはそういう連中の言い草の方に自分をあわせる気はありません。


そして、「自分は〜」にしても、私はこの十数年しっかりと頑張ってきました。それは間違いありません。
同じ集団ストーカーの被害にあってきた人々(ただし本物の、と念を押しておきます)を見ても、 多くの方々が自殺に追い込まれたり、引き篭もりになってしまったりしていますが、 現在進行形の実体験がある以上、私にはとても彼らを悪く言うことはできません。

そうした最悪の条件下で、私はこの十数年、仕事に取り組み、できる限りの社会生活を送ってきました。 そりゃ同じ条件でもっと成果を出せる方もいらっしゃるでしょうし、 そういう方を素直に「すごいな」と思いもしますが、それで自分を卑下するつもりは毛頭ありません。
もしそんな事を言う人間がいたとすれば、それは単に自分の幸運をひけらかしているにすぎないのです。


私が私のやりたい事に向けて頑張れなかったのは、あくまでセガという企業の犯罪によるものです。


にもかかわらず、今の私は「頑張ってください」と人に言うことに抵抗を感じるようになっています。

その理由は、セガによって私の個人情報、発言、文章が勝手に流出してきたために、 「頑張る」という事自体が、まるで私の発言に促された結果であるかのように捉えられかねない、 という可能性があるからです。
当然ですが、何かに頑張るのは、あくまでその人の意志によるものであり、 その成果はその頑張った人のためのものであるべきです。しかし、盗聴情報に付加価値を与えたいとか、 なるべく多くの人間を巻き込みたいというセガの思惑により、 自分の言葉が大量に撒き散らされてきた経緯がある以上、私の意志など関係なく、 事実そういう状況が続いてきたのかもしれません。

残念ですが、私はもうこの「頑張ってください」という言葉を人に言うことはないと思います。



そしてもう一つ、努力という言葉の持つ危険性についても指摘しておかねばなりません。

私の件も含め、ストーカー犯罪における加害者側は、それによる被害や不当な不利益をこうむる人に対しても、 この「努力」という言葉を用いて自己正当化を図ることが、実際のところ多々あるのです。


例えば「そういう犯罪にあうのも、お前が犯罪者の目に付く場所にいたからだ」とか 「隙を見せるから犯罪の被害にあうのだ」といったものです。

これらは、例えばその被害者の家族などが、取り返しのつかない損害を負うことになったことを嘆いて、 心ならずもその被害者に感情をぶつけてしまう、という事なら確かにあるかもしれませんし、 そこには一概に誰かを責めたり弁護したりできない、複雑な事情もあることでしょう。

ところが集団ストーカーにおいては、事もあろうに加害者側がこれらのレトリックを使ってくるのです。 私は今だかつて、ここまで図々しい言い草を聞いたことがありません。

被害にあわないようにするために、また被害から立ち直るために努力が必要なのだとしても、 本来それらの努力はストーカー加害者さえ存在しなければ全く必要のないエネルギーの浪費です。
自分たちの身勝手な犯罪で他人に余計な苦痛と面倒を支払わせる羽目にしておきながら、 それを被害者側のせいに押しつけるとは、一体どういう了見なのでしょうか。

残念ながら、ことストーカー犯罪においては、 この努力という言葉が正常に機能することはけして無いと思います。



努力と言う言葉が本来持つ意味合いは、非常に尊く、大事なものですが、こと私の身の上に関して、 それが適切に使われた事は、セガの集団ストーカーに巻き込まれてから一度だってありませんでした。

私はこの十数年間、この状況下で出来るだけの準備をした事はありますが、 努力だけは一瞬たりともした事はありません。
その事だけは、心から胸を張って申し上げたいと思います。



C 行動


ここまでで既に十分書いていると思いますが、セガの集団ストーカーの基本的な方針は、 私を「他人の批評ばかり偉そうに行って、自分では何一つ行動しない男」という設定に落とし込むことです。

盗聴、盗撮、留守宅への不法侵入による個人情報の収奪、ネット上での履歴の監視、仕事の妨害などにより、 あらかじめこちらの行動を封じ、その事をほのめかした上で、「口だけで行動しない」 などと騒ぎ立てるのが基本的な手順であり、例えれば、「当人の周辺を落とし穴で囲っておいて、 「動け動け!」と騒ぎ立てている」ようなものでしょうか。

特に企画職や創作方面を目指そうと考えている人間にとって、 この情報の安全性を保てないというのはほとんど致命的で、 自分のやりたい一切の事ができなくなってしまうのです。


こうした私の言い分に対して、製品化されたゲームの企画書を公開したり、 「俺はそんな事をされても痛くも痒くもない」と言い張る人たちもいましたが、 私にとってはどちらも全く意味のない話でした。


まず企画書を自分の意志で公開したところで(勿論これでもかなり思い切った事だったのだろうとは思いますが)、 そこに自分の意志による決定権がある時点で、私とはまるで条件が違います。 また、私の状況に当てつけるのであれば、公開する企画書のタイトルも既に発売済みのものではなく、 「発売前の自社の看板タイトルに匹敵するもので、できれば企画書だけでなく、 作中のプログラム、グラフィックを含めた全てのデータを公開する」という形にしなければ意味がありません。

「お前ごときにそこまでさせる程の価値などあるか」とお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、 この場合重要なのは「痛みのスケールを合わせる」事です。 少なくともセガによる私の被害を実感していただくにはこれ位の事でなければいけませんし、それを行って、 なおそのタイトルを成功させるぐらいでなくては、私の被害を軽んじることなどできません (少なくとも俺は納得しません)。


また、自分は平気だという人についても、私はかなり疑問視をしています。例えば、 独自の画風や技術で作家性を確立された絵描きさんがいるとして、 自分が一枚描き上げるたびにその絵の詳細が盗まれてそっくりの贋作を作られ、 「この(贋作の)絵があるのでお前の絵はいらない」となったらどうでしょう。 世の中に数多くの贋作絵師が存在する以上、不可能なことではありませんし、 デジタルデータならもっと簡単です。

「そこまでする事などありえない」とお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、 セガの行為は既に十分ありえないレベルですし、 「俺はそんな目にあわない」と言うのであれば、 結局それは自分が既に社会的な陣地を固めて安全を確保しているという、 単なる自慢にしか過ぎないことになります。

何より集団ストーカーはターゲットを困らせることが目的なのですから、 私の受けたようなプライバシー侵害や情報収奪が本当に平気だという人間がいたとしても、 その時は単に別の嫌がらせに内容が変わるだけでしょう。


他にも、「実際の会社を起業するなどの行動に移さない」などといったものもありましたが、 生憎私はセガが吹聴するような無責任な人間ではありません。 むしろ自分の責任をしっかりと意識する方の人間ですし、失敗した際のリスクは、 当然自分で背負い込まなくてはならないと考えています。
その自分の人生をかけたような挑戦を、果たして明らかにこちらの失敗を目的とした、 得体の知れない人為的な妨害がある中で行うと思いますか?

起業家を志し一度でも勉強をしたことがある人ならば、新興企業が参入できるのは基本的にニッチ市場であり、 それはリーダーやチャレンジャーが手をつけていない細分化市場が前提である事位誰でも知っているでしょう。 情報が片っ端から流出し、既存の企業が一々そこに参入してくれば、 それはその市場がニッチ市場ではなくなってしまうことになります。 それはまさしく起業の前提条件を破壊される致命的な問題であり 「大した問題ではない」などと言う人間がいるというなら、それはただのウソツキです。

要するにこういう文句は「せっかくお前を潰すために罠を仕掛けているのにいつまで待たせる気だ、 罠を維持するのもタダじゃないんだ、さっさと落ちろ!」と言ってるようなもので、 私からすれば「知るかバカヤロー!」としか言えません。


いずれにせよ、私に行動を促すより前に、まずセガの異常な行動をやめさせる方が先ではないでしょうか。



D 綺麗事を言う、 偽善者である、 本当は辛いくせに他人に良く見せようとする


私自身はあまり自覚が無いのですが、私の言動はとにかく綺麗事だらけなのだそうです。

とくにファンロード誌で行った投稿の内容などで特定の作品を応援するような場合、本音は別にあるくせに、 媚びたり心にもないお世辞を言ったり、それを利用して自分を売り込もうとするなど、 非常に偽善的ということのようです。


…当時も今も私的にはよく解らないのですが、ファンロード誌はファン雑誌で、 その読者は基本的にその作家や作品のファンのはずです。 作家や作品のファンがそれを誉めたり良く言ったり楽しみにしたりって、 果たしてそんなにおかしい事なんでしょうか。

勿論それを仕事にした場合、商売敵としての対抗意識みたいなものも出てくるんでしょうが、 だからって年がら年中、他人がいい仕事をする度に、 一々それを攻撃したり貶したりしなくてはウソなのでしょうか。 世の中には集団作業で成り立つ仕事だって多いわけですし、妥協の無いよう緊張感を維持する、 というような意味合いならまだしも、他人の仕事に一々びくついて排斥していたら、 成り立たなくなるものも多いのではないでしょうか。

偽善者的発言云々にしても、ファンロード誌は不特定多数の人間が目を通す (まあかなり嗜好は限定されそうではありますが)、公共の場とも言える場所です。 そこで一々自分の恨み辛みや愚痴を並べるような真似がよい事とも私には思えません。 社交辞令でも何でも、自分勝手に当り散らすような真似よりはマシというか、 どちらかと言うとこれはマナーに属する類の話ではないのでしょうか。

ましてそれから十数年たった現在「私の発言」は99パーセント、 私の承諾していない不当な手段で流れたものです。ファンロードの件にしても、 掲載されてもいない内容までどうこう言われる筋合いなど無いはずですし、 私がもう一つの自分のサイトで書いていた内容があるにしても、元々そちらのサイトは、 一部知人やリンクをお願いした方々にさえご覧いただければ十分、というスタンスでした。 そうしたリンクをお願いしたサイト様で、相互リンクを承諾していただいた先様は一つもありません。 ロボット検索のサーチエンジンでも定期的に100位以内に表示されていないという確認を取っていましたから、 となると、私のサイトが知れ渡る経路は存在しないことになります。

昔「インターネットに情報を出すことは、世界中に情報を流すことだ」という事がよく言われていましたが、 「グーグル八分」と言う言葉に代表されるように、「道が全てにつながっていても、 住所を知らなければ辿り着けない」というのが実情なのです。


媚びて自分を売り込もうとする〜にしても、「1」〜「3」で書いたように、俺の場合、 むしろ先方に無礼な態度をとってしまったりなど、 それを台無しにしてしまっていることの方がずっと多いはずです。
(…まあせっかく先方様が厚意で作ってくださった機会を、自分の勝手でつぶしているのですから、 お詫びする必要こそあれ、なんら威張って言う様な事ではないのですが)

はっきりさせておきたいのですが、自分から流布しているわけではない以上、綺麗事であろうがなかろうが、 この程度の思想の自由はあって然るべきです。
人の考えは人それぞれですから、私がこう考えるから他人にもこうしろ、などという気はさらさらありませんが、 だからといって、自分のそういう考え方を他人にズカズカ押し入られた挙句、否定される筋合いもありません。

そして自分の発言がそこまでの綺麗事とも思いません。

勿論俺にだって日常で気にくわないことはありますし、腹を立てることだってあります(もっともこの十数年、 そうした事の90パーセントはセガによって人為的に作られた状況ですが)。
だけど、そんなの当たり前のことでしょう。思春期の子供じゃあるまいし、 公共の場で妬み嫉みのクダを巻く方が人としてあるべき姿みたいに言うのはいかがなものかと思います。 普通、いい年した大人なら痩せ我慢の一つも覚えるべきじゃないのでしょうか。

「本当は辛いくせに〜」にしても、だったら苦しい思いをしている人間は、日々の生活に喜びなど見つけず、 とにかく苦しそうな顔だけ晒して、惨めに生きていなくてはならないのでしょうか。


もっと根本的な事を言わせてもらえば、俺は別に「よく見せようなどとはしていません」

というかそもそも「見せてません」

人のプライバシーにズカズカ踏みこんだ挙句、普通に生活してるから偽善者だ、とか言われても、 俺にはそれがどういう筋合いの文句なのか、全く理解ができません。

「お前ら一体何様だ!」とでも言いたくなろうというものです。


思うのですが、これって「基準をセガに置くから」おかしくなってるんじゃないでしょうか。

セガやセガの同類の人間にとっては、ゲームや作品など単なるお金や権力のもとであり、 それ自体に意味を見出したり感動したなどという声は、単なるお世辞としか想像できないのではないでしょうか。
まして、日頃から自社の顧客である一般市民にまで、 のぞきや暴力を振るっているのが当たり前などという事が基準というのなら、 そりゃ普通の生活を送っているだけで大抵の人は聖人君子と言えるでしょう。

結局これらは単に「自分のうしろぐらさの正当化」でしかないと思います。 そんなもの、ふんぞり返って他人に聞かせるような話じゃないでしょう。


とにかく、私は別に綺麗事など言った憶えはありませんし、文句を言われる筋合いもありません。



E 小心者である


これについては否定しません。その通りです。
本来私は非常に慎重な性格で、自分の責任を果たすことを第一に考え、 それで一杯一杯になってしまうことが多々あります。

一方、成功する企業経営者(他にもスポーツ選手や芸能人など)は、 圧倒的に欲望に忠実でリスクを恐れず飛び込んでいくタイプが、成功する第一条件なのだそうです。
なるほど、それを基本に考えるなら、確かに私は成功するタイプからは全くかけ離れた人間だと思います。

しかし、気のせいでしょうか。実のところ、取り返しのつかない失敗をして破滅するのも、 圧倒的にこのタイプが多いような気がするのですが。

また、綿密で慎重なタイプが本当に成功しないのかと言えば、そんなわけはないというか、 むしろ通常はそちらの方がはるかに重要なことではないでしょうか。 少なくとも、そういう側面を持ち合わせない人間の方が成功するなんて話は、私にはとても想像がつきません。 ここ一番の決断力や行動力、説得力が必要なのは確かですが、そういう場面を除いた通常のほとんどの場面では、 むしろできるだけ綿密で慎重であるべきだろうと私は思います。

タレントや競技者はどうか知りませんが、結局この手の話って、 単に自分に近いタイプを肯定しているだけなのではないのでしょうか。

だからといって私は自分が成功するなどと言っているのではありません。現に私は臆病で慎重なのに、 セガと関わったせいで、人生の一番大事な十数年を失ってしまいました。 このセガの嫌がらせで私が負った被害を金額で表そうとすれば、実際破滅も同然です。
どんなタイプでも絶対という事はないのですから、結局は運次第ということになりますが、 それなら肝心なのは自分がどんなタイプであろうとも、それに合わせた適切な選択をする事と言う話になります。

だったら、私は小心者なりにやっていくだけですし、 セガの妨害さえなければそれできちんとやってこれた自信はありますし、 小心者で一向に構いません(むしろ小心者万歳です)。



F 会社を乗っ取ろうとしている、社会を転覆させようとしている


…何だかセガの内面を露骨に反映しているようにも思いますが、こういうパターンも少なくありません。

上でも既に書きましたが、私は別に権力とか社長になる事とか自体には全く興味がありません。 社長と言っても一人親方や個人商店だって立派な社長です。なるだけなら、なろうがなるまいが個人の勝手です。 セガやセガの同類のような人種にとっては、少しでもエラくなって他人にふんぞり返ったり、 他人をアゴで使いまわしたり、とにかく拡大拡大でひたすら大きい規模の会社を志向する事は、 この上も無い魅力なのかもしれませんが、私は単に自分のやりたい事を仕事にしたいと考えていただけで、 別に権力を目指していたわけではないのです。

確かにITバブルの頃などは、そういう野望を持った学生上がりの経営者も大勢いたようですし、 現在も経営関係の書籍では拡大を第一に考えるべしと教えていますが(まあ「色んな都合」を考えれば、 基本的にはその通りなのでしょうが)、他人は他人、私は私です。十把一絡げに同じ前提をされても困ります。

第一、乗っ取られる心配をするならせめて乗っ取りたくなる会社にしてからにしてくれ、 と思うこともしばしばです。中には毎月雪だるま式に借金を増やしているのに、 私が乗っ取りを企てているのではと疑いまくった社長もいましたが、 そういう心配は、まず自分の会社の経営を健全化させてからにしてほしいものです。


そして漫画やアニメの中傷作品ではこのパターンが多いのですが、 俺はあくまで一企業の企業戦略について書き込みを行っただけのはずなのに、 一体全体それが何で社会の転覆を企む事になってしまうのでしょうか。 話を広げないと他人を巻き込めないのは分かりますが、 それにしたっていくらなんでも飛躍しすぎではないでしょうか。


作っている人の願望はどうだか知りませんが、俺は国家転覆も大量殺人もまっぴら御免です。 訳のわからない陰謀話を勝手に押し付けないでください。



G 他人とコミュニケーションをとろうとしない


確かに俺は口下手ですし、芸人のように賑やかなリアクションをとる方ではありません。

だからと言って、それを人間的に問題があるから、という話にされるのは間違いでしょう。 俺が今ほど極端に対人関係を狭めるようになったのは、セガの集団ストーカーの中にいるからです。

「1」でも書いたように、当初、私は他人とコミュニケーションをとろうとすると 「無駄口ばかりで怠けている」とされ、仕事に集中しようとすると「コミュニケーション能力が無い」 という話にされていました。 どの道自分が悪くなるなら、せめて二つうち一つに限定してしまおうというのが私の判断です。
となれば、「人付き合いはするが仕事ができない」のと「仕事はまじめだが人付き合いをしない」の二択なら、 当然後者をとります。

考えてもみてください。あなたの周囲の人間が、あなたが昨晩自宅で会話をした内容を全て知っており、 それを聞こえよがしにあてつけてきたりしたら、あなたはその人間と腹を割って付き合いをもったりしますか? しかも目の前にいる当の本人が言うことよりも、 得体の知れない第三者の情報の方だけであなたのことを全て知った気になり、あなたを判断すると言うのなら、 あなたが自分で口を利く意味などあるでしょうか。

…というか、そもそもそんなに口を利かないという人間の個人情報をそこまで詳しく知っているという事に、 何の疑問も持たないというのですから不思議なものです。

それに、コミュニケーションをとらないと言っても、 業務の遂行に必要な連絡を欠かしたことは一度も無いはずです(多少の凡ミスはあったかもしれませんが)。 それ以上のコミュニケーションを求めると言うならば、 まずセガの集団ストーカーによる不当な事前情報を切り離してからにしていただきたいものです。



H 正論しか話そうとしない、理屈で事実を捻じ曲げる


このサイトを開いてからはこんな中傷も加わりました。

お断りしておきますが、私は世の中のことが全て理屈で汲み取れるなどとはこれっぽっちも思っていません。

しかしセガや探偵業者の集団ストーカーはその場の雰囲気で他人の感情を操作する扇動行為なので、 対抗するには普通に理詰めで攻めることが一番効果的であるというだけの話です。
事実、そうしたお題目の内容レベルを考えると、このサイト程度の理屈で十分対抗できます。




※ ただ、厳密には、私はセガや探偵業者の口車で捻じ曲げられてきた事情の整理を行っているにすぎません。
そういう意味では、対抗するからといって理屈で何かを変えたわけではないです。
   (それでも、ものすごく面倒な作業ではあるのですが)




また、まるで私が善悪を歪めているかのような話ですが、 他人の留守宅に不法侵入してのぞきやら窃盗やら行うのは、捻じ曲げるまでもなく普通に悪事でしょう。
捻じ曲げたと言うなら、そうでない状態がどんなものなのかぜひともご教授いただきたいものです。

正論云々も同様。そもそも真剣に考え込んでいる他人に何かを諭すのならば、 その人が納得できる理を持って諭すのは必要なことです。集団ストーカーに乗せられるタイプの人というのは、 雰囲気だけでその気になり、自分ではろくに相手のことを知らなければ、とりたてて考えもないまま、 手頃な悪役相手にふんぞりかえって日頃の鬱憤晴らしをしたいというのが大半です。 そんな事にこちらが合わせるいわれはありません。

大体こちらは十数年以上人生を破壊されているというのに、 筋道立てて事情を明確にするのは困るなんて言い草に納得できるわけないでしょう (納得すればいいというものでもないですが)。

他にも、こういうサイトを作ることについて、 「いじめの愚痴言ってるだけでしょ」と仰る映画監督さんもいらっしゃったらしいのですが、 扇動行為は「相手が一方的に悪い」という状況設定を作るからこそ成立するものです。 対抗するには、その状況設定を崩すほかありません。 こうしたサイトで反論の意思表示を行うのは重要な対抗手段であり、十分意味のある事です (だからこそ集団ストーカーは標的と直接事情を話すことを禁じるわけですし)。

大体私はこのサイトを作ったことで「俺ってすごいだろう」なんて事は全く言ってませんし、 こんなことで張り合うつもりもありません。「セガののぞき被害に十数年あいました」って履歴書に書けば、 就職に有利になるとでも言うんでしょうか。俺は本来セガのバカげた組織犯罪になど関わりたくありませんし、 こんなくだらない事に毛の先程のエネルギーだって使いたくはありません。

本来俺のやりたい事は、こんな事ではないんです。

こんなサイトを作らされる羽目になって、誰よりも迷惑しているのはこの俺です。 思い違いのないようお願いいたします。



I 全力を出し切ろうとしない、ちゃんと闘え


全力を出し切らないのは当たり前です。何しろ集団ストーカーとの闘いの構造は、 「一対∞の人数の組み手」のようなものです。圧倒的に被害者が不利な状況下での消耗戦なのです。
ブログや2ちゃんねるなどの掲示板における「炎上」状態が、ネットだけではなく、 私生活においても24時間人為的に行われ続けていると考えれば分かりやすいでしょうか。

馬鹿正直に一々全力を出していたら、あっと言う間に精神的に追い詰められ、自滅してしまいます。
そしてそれこそが、セガや探偵業者の集団ストーカーにおいて目的を達成する(標的を抹殺する) 一番楽なパターンでしょう。何でわざわざセガと探偵業者に有利な形をとらなければならないのでしょうか。

そして特に癇に障るのが、前にも書いた、「ちゃんと闘え」というようなほのめかしを行ってくる人々です。
大抵の場合、商業作品中に織り込むような形で、説教まがいの発言が行われます (内容的にはこれ以外にも色々ですが、ほとんどが一方的な内容です)。

だったらこちらからも言わせてもらいますが、闘えと言うのならば、何故直接的な発言をせず、 商業作品にまぶすような形をとるんでしょうか。説教がしたいのなら、キャラクターの口など借りず、 直接俺に「俺は本名なにがしというものだが、お前がいついつのどこどこで行った発言を、 誰々の手によってこれこれと言う場所で耳にし、それが気にくわないので文句がある」と、 直接俺に言えばいいでしょう。そのためにメールアドレスだって用意しているんです。
一体何でそうしないんですか。

それをしないのは、「そんな事をしたら、今度は自分の身がヤバくなる」と思っているからではないんですか。
それって他人の深刻な事情に口出しするというのに、責任持った発言でもなんでもないですよね。

そんな姿勢で他人に説教など、片腹痛いというものです。

もし、そうではないと仰るならば、ぜひ、上記のような手続きでの発言をお願いします。 精神論は関係ありません。それこそが、私の問題解決に直接つながる方法なのですから。




…長くなりましたが、十年以上こういういい加減な物言いに晒されているので、 その分たまったストレスも相応なのだとご理解いただければと思います。
まだ他にもあるように思いますが、きりがないので一旦ここまでとし、 以降は随時追加する形にさせていただきます。


しかし最後に、以下の事について少々書かせていただきます。







この「夢」という言葉も、私への誹謗中傷によく使われます。元ネタは昔応募した、 現在は組織変更で消滅している某キャラクター系のソフト会社に送った履歴書に一回だけ書いた 「ゲームを作る仕事に就くのが夢だった」という志望動機だと思います (それ以外では書いたことはありませんので、この会社がいつもの個人情報流出に協力したのだと思います)。

日本人は漫画やアニメの豊富な社会で育つせいか、夢というと掴み所のない、 「お花畑でランランラン」とでもいうような
(笑うかもしれませんが、本当に大抵の人がこういうイメージしか持っていないらしいのです)、
何やらもやもやした連想しかしないらしく、私について何の具体性もなく、叶う当てもない、 地に足の着かない妄想だけにとりつかれて日々をすごしている男、といった中傷がなされました。



で、なんで俺の夢は具体性も叶う当てもなく、地に足が着いていないことになるのでしょうか。


というか、私は自分の夢の内容を他人に教えたことって一度もないはずなのですが、内容も知らずに、 なんでそんなふうに決め付けられるんでしょうか。仮に上記の履歴書の通り 「ゲームを作る仕事に就くのが夢」という事なら(実際ウソでもないです)、 既にちゃんと叶っていることになりますよね。
私の夢に具体性や叶う当てがないかなんて、誰にもわからないんじゃないでしょうか。



つまりここで言う「私の夢」もまた、セガが勝手に考えたものだったという事です。

ここまで書いてきたように、セガにとってはゲームなどどうでもよく、 「お金のためのお金」「権力のための権力」しか頭になく、 夢と言われて連想したものは、やっぱり「お金」「権力」しかなかったのでしょう。
おそらくセガは、私の夢を「出世して社長になる」事とでも考えたのだと思います。


そしてその結果、社会を転覆させて権力者になろうとして最後は破滅、というパターンの「俺様神になる」 系のコンテンツが、漫画やアニメを中心として世紀をはさんだ頃から乱発されることになった他、 私の「1」の書き込みの半年後から 「口だけは偉そうな小市民が突然有力者の前に置かれ何もできずに震え上がる」 という内容の缶コーヒーのCMが数年間に渡り放送されることになってしまいましたが、 これもセガ系のしがらみから生まれたものです。



※ そんな馬鹿な、とお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、 実はこのCMの制作を担当したのは「1」で私が相談をした広告代理店の知人だったのです。
しかも驚いたことに、彼はそれまでずっとセガのCMの担当でもあったというのです。 後になってその事を知った私は、もう誰を信じたらいいのかわからなくなってしまいました。


多分「1」での私の発言はインターネット黎明期のものでしたから、単に私の件に限らず、 ITといった自分たちになじみのなかった技術の出現や、情報の発信手段ができたことで、 今まで潜在的だった人間が活動を始め、 自分たちの立場を脅かすのではないかという警戒心を持っていた権力系の人間が少なからずいた、 ということなのだと思います。
そういう層がセガの流す情報を受け、これら一連のコンテンツを作ることになっていったのでしょう。



しかし、それらのコンテンツを見て私が思うのは「本当にそれでいいんですか?」ということです。

これらは実際に不特定多数の人間が見るメディアにのったわけですが、要するに、そこで訴えられる事とは、 「生意気な目標を持つような人間は、必ず失敗させて破滅させてやる。 それが嫌なら今の権力を出し抜くような事をせず、行動一つ一つにお伺いを立て絶対に追い抜いたりするな」 という事です。

私は夢というのは、別に一攫千金だとか、名声を得るだとか、世の中をひっくり返すだとか、 そんな大げさな事ばかりではないと考えています。人が生きていく上で、 自分の人生を豊かにするための将来の展望や、苦しい今を乗り越えるために自分に与える前向きな動機。 本来、夢とはそういうものの事を言うのではないでしょうか。

一連のコンテンツを送り出した側の人々にすれば、とにかく誰彼構わず「俺の地位を脅かすな!」 と叫びたいのかも知れませんが、メディアという無差別に発信される媒体でそれを行えば、 実際にはそういった権力欲とは関係のない、 真面目に今を生きている多くの人々を巻き込んでいくことになります。 特に漫画やアニメに触れる機会の多い若年層への影響力は少なくないでしょう。

そういう若年層は、夢をあざ笑われ破滅を暗示するこれらのコンテンツを見て果たしてどう思ったでしょうか。



表立っては言わないでしょうし自覚がない場合もあるでしょうが、 「ああ夢を持つなんて恥ずかしい事だし下手に理想を持っても最後は殺されるんだ。 だったら主体性なんて持つだけ損だし、誰かの言いなりにだけなって、 他人の責任に文句だけ言って生きていこう」、そんな風に考えるようにならないと言えるでしょうか。
(娯楽に紛れ込ませている分、そして個人的な欲望で世の中の気分を操作しようとしている分、 後のシラケ世代にまで繋がっていった全共闘世代の喪失感などより、 ある意味ずっとタチが悪いとも言えると思います)

それとも「漫画やアニメの影響力などたかが知れているし、 どうせそれを乗り越えたり本音に気づいてくる奴は必ず現れるから、 今のうちに少しでも将来邪魔になる奴を排除できてラッキー」とでも考えているのでしょうか。

私にはとてもそんな安直な話とは思えません。

特に昨今の長い不況下、企業から一方的にリストラされる労働者は数多くいる一方、 彼らが自立して大企業に頼らず自分の力で生きていこうと考えた場合、 極めて不利に作られているのが日本の社会です。
放り出される人々が大量にいる一方、彼らの自立心をけん制するようなコンテンツを大量にばら撒く事が、 社会に健全な影響を与えるでしょうか。むしろ社会を大きく傾かせていく、 その要因にしかなっていないのではないでしょうか。


そしてゲームやアニメといった娯楽系の産業が、そういう不安定な社会で本当に成り立っていけるものなのか。
私はほとほと疑問に思います。

こうした私の考えを、単なる杞憂、考えすぎと笑う人間もいるでしょう (セガの立場からすれば、責任逃れの意味合いも含めて)。

しかし、私はとてもそこまで楽観的にはなれません。

現に、そうして作られたコンテンツの幾つかは、 いまやとてもアングラでマイナーなものとは言えないものになってしまったのですから。









私の人生の半分近くはセガの集団ストーカーの中にあり、二十代から三十代に普通の人が身に付けているはずの、 一切の経験と財産を破壊されてしまいました。しかしその上で、私は夢は必ずかなうと思いたいです。

信じていればちゃんとかなうと思いたいですし、これからもそう思っていたいです。

しかし残念ながら、それはセガやセガに追従する人間にとっては、 どうにも我慢のならない焦りを生み出すようです。

このサイトの開設後のセガによる嫌がらせは、出版社やラジオ局などのマスコミによる協力もあり、 私の家族まで標的に加えるという、これまでを上回る非道極まりないものになり、 現在はこのサイトの存在も含め、ゲームやアニメを中心とした業界全体が協力し合ってもみ消しを始めています。 それによって私自身、2009年の始めからしばらくの間、再び本気で死を考えなければなりませんでした。

メディアを使ったこれらの嫌がらせは、普通の生活を送っておられる方々には、 いささか想像を絶するものかもしれません。

そこで、次章では、そうしたメディアによる嫌がらせの実際を、 幾つかのわかりやすい例を使って紹介させていただきたいと思います。



     


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