5 暴走するヒステリー 〜 強迫観念が加速させる加害者側の動機


「盗聴もビジネスモデルの一つだ」

セガは私についての盗聴盗撮を行うにあたって、こんな風に語っていたといいます。

無論、それは何か高度な計画を持って、得体の知れない高尚な理由の下行われている、という事ではありません。
私の書き込みの後、セガは独自のビジネスプランを示す必要性に駆られたそうですが、結局それを示すことが できなかったため独自のアイデンティティーがありませんでした。そのため、いきあたりばったりに、伝統的に 社内外で繰り返されてきた盗聴盗撮という独自の「のぞき文化」(確かに会社をあげて他人の家を四六時中覗く 趣味のある企業などそうはないでしょう)を、ビジネスモデルと言い張るしかなかったようです。



一方で私に限って言えば、こうした盗聴盗撮行為が行われる原因は、被害を受ける側に問題があったという話も あるようです。それは、私自身の態度の問題でした。


このサイトを作ってから、やはり私は複数のメディアから誹謗中傷を受けるようになりました。彼らの言い分は、 「こうなったのも元々私のせいだ」というもので、その理由は漫画原作の某ドラマ(原作つきなので、元々の 原作漫画のほうで書かれていたことなのかもしれませんが)によれば、私が「上から目線」でものを言うからな のだそうです。

私が投稿を行っていたのは、もう十年以上も昔のことです。しかし、そうした当時の投稿内容は、現在もつい 昨日のことのように話題にされ、その事から私を批判、中傷する人間は今も絶えません。そんなに昔の話が現在 も風化せずに残っているという事は、「私の投稿物が特定の場所でライブラリー化され、私になんの断りもなく、 現在も公開され続けている」ことを意味します(恐らくそのためのサイトでも作られているのでしょう)。

その中で私は、数々の厚顔不遜な暴言を繰り返し、多くのクリエイターを侮辱し、ふんぞり返り、品評し、馬鹿 にしたようです。

私自身としては、そういうつもりは全くありませんでしたし、どの部分がそれに相当したのかもわかりません。 学生時代など初期の頃はまだしも、定期的な投稿を行うようになってからは、そうしたことには配慮するように なっていました。むしろ先方については、常に敬意を持って書いてきたつもりですし、あまり否定的な事を 書いたことはないはずです。当時の他の投稿者の掲載物と並べてみても「不遜な態度」という意味からでは、 そう極端な違いがあるとは思えません。

しかし、自分が意図していないとしても、他人様からは別の見方をされる、というのは往々にしてよくあること です。そういう部分があったのであれば、確かに私が悪かったと言わざるを得ません。

お気を悪くされた皆様には、申し訳ありませんと言うばかりです。すみませんでした。



ただし、です。

これをもって盗聴盗撮や、留守宅への不法侵入、仕事の妨害、何より人の著作物の盗作盗用を正当化するつもり なら、それはとんでもない心得違いです。

前述したように私の投稿が露出した機会は、非常に少ないものです。そして、ファンロード誌について言えば、 投稿物は雑誌掲載後、すべて廃棄される事になっているそうです。にもかかわらず、私の投稿が公開され続けて いる、ということは、私の投稿は例外的に保存されていた事になります。それは、保存され始めた時点で、編集 部側には私の投稿について、「問題」があるという認識があったことを意味します。


では何故、問題があるとされた私の投稿は、そういった認識が出来た時点で「止める」のではなく、「保存して さらす」という対応をされることになってしまったのでしょうか。




こう書くと、まるで私が自分の行動の責任を他人に押し付けようとしているかに聞こえるかもしれません。

確かに、そういった批判があるならば、それを否定しきることは出来ないでしょう。

しかし私の場合、そうした私の「態度の悪さ」だけを引き換えに、その後行われた盗聴や盗撮、生活環境の破壊 や個人製作物の商業的な盗用までが正当化されている節があります。

感情面を重視して考えるにしても、それだけを引き換えにするならよほど大きな問題として考えなければ釣り 合いが取れませんし、特に商業的な盗用盗作について言えば、完全な私利私欲に基づくもので、もはや私怨で すらありません。

これらを全て正当化されてしまうほどの問題なのだとすれば、その投稿を募った雑誌(主にファンロード)側の 編集についても、それほどまでの大問題から回避させる義務があったはずです。

にもかかわらず、編集部が行った対応が放置(というより助長)なのは、一体何故なのでしょうか。



こうした状況を説明するための例として、ある漫画の件を考える必要があります。

数年前まで某週間漫画雑誌で連載されていたその漫画は、囲碁を題材としたもので、主人公の少年が大昔の碁士 の幽霊に見出され、プロ棋士にまで成長していくというお話です。

地に足の着いたストーリーと、魅力的なキャラクターにより、囲碁に何の興味もなかった私も、すっかりこの 漫画のファンになっていました。それは私の親戚家族も同様で、単行本の続きが発売されるのを毎回楽しみに していました。

その内にこの漫画はアニメ化され、当時実家に戻っていた私の住む静岡ではまだ放送は行われていませんでした が、しばらくするとこのアニメのDVDが発売され、レンタル店にもこの番組のDVDが並んだため、家族も 見たがったこともあって、私はこのDVDを借りてきました。

しかし本編を見てみると、私が序盤感情移入するきっかけになったキャラクターの茶目っ気や子供の日常に焦点 を当てた、見る側に親近感を与える数話分のエピソードはバッサリ切り落とされ、なんとも冷たい印象が強調 される形で、わずか一話にまとめられていました。
私はがっかりしてしまい、それは一緒に見ていた家族も同様だったので、結局二話収められた内一話を見ただけ で返却することにしました。

期待を裏切られた落胆から、私は家族を相手にこのアニメ版の文句を並べました。特に気に入らなかったのは、 幽霊のキャラクターが半透明の自分の体を通りすがりの人に透けた体を通り抜けされて「無礼な!」と怒るシーン でした。なぜそこがイヤなのかは、それこそ「批評」になってしまうので詳細を書くことは避けますが、いずれ にせよ原作で面白かったエピソードをことごとく捨ててしまったにもかかわらず、その代わりにこうしたシーン が入るのは納得いきませんでした。

おさまりきれない私は、居間のテレビの前で家族を相手に批判を並べ立て、「原作者の意図やよさをまるっきり わかってない」というようなことを口走っていました(正確になんと言ったかははっきりしませんが、多分これ くらいのことは言っていたと思います。気持ちに任せてどうでもいいことまでケチをつけていましたし)。



それからしばらくしてのことです。

この漫画の本誌の連載は既に第一部を終了し、第二部の開始まで、複数の登場人物にスポットを当てた番外編が 間隔を置いて掲載されていました。

そのシリーズの最後の話は、あの幽霊の棋士の話でした。

読み進んでいくと、放課後学校のグラウンドで野球部の部活が行われているところに主人公たちが出くわすの ですが、そこで幽霊の棋士はマウンドとホームの中間に歩いていき、投手の投げたボールがその体を通り抜ける というシーンが描かれました。それもわざわざ1ページの半分を使い、直上からの俯瞰視点という、きわめて 説明的な構図が使われていました(ちなみにこのシーンは単行本ではわずか一コマに修正されています)。

ストーリー自体も、人をだまして品物を買い叩く骨董商を囲碁で負かし、彼が二束三文と思っていた皿を取り 戻すが、実はその皿には秘密があり、後でそれを知った骨董商が大いに悔しがるといった筋立てで、「全て わかったような気になっているような人間ほど実は何もわかってなどいない」というニュアンスが前面に出た ものでした。

また、これ以外にも時期を同じくして、最近でも正月にドラマ放送された作品など複数の漫画で同様のシチュ エーションが描かれ、その中には私の本名をもじった名前や、私の顔を模写したキャラクターが登場し、これら 一連の作品が、私の言動にあてつけられて描かれたのは明白でした。


実際のところ、このアニメ版には確かにきちんとした意図というものがあったのかもしれません。通り抜けの シーンについても何か計り知れない高度な考えがベースにあったのかもしれません。

ストーリーは勿論、美しく描かれたキャラクターが原作の人気の理由の一つでしたから、女性層にアピールする ような構成を優先するよう考えられていたのかもしれませんし、そういう層からすれば、歓迎すべき内容なのか もしれません。私自身は「美形同士がうっとりしている」類のシーンには、いささかアレルギー気味なのですが、 こればっかりは私が男性なのでどうしようもないと思います。

それに作家の方々にしても、実際私などには計り知れない意図を持って作品を描いておられることは、十分に 想像できます。確かに私の発言は行き過ぎたものでしょう。その点では自分でも思い上がった言い草だと思い ます。




でも、考えてみてください。


私はきちんとした手続きにのっとり、対価を支払ってこの作品を鑑賞しました(レンタルですが)。

それなのに、こちらが期待した内容を得られなかった場合、それに対して何の不満も感じてはならない、という のはおかしくないでしょうか。

そしてもっと根本的な問題は、私が発言したのは「家族しかいない自宅の居間である」ということです。ネット の書き込みですらなく、どう考えても第三者に流出する原因になる場所ではありえませんし、私の家族がそれを 言いふらしたなどということもありえません。

にもかかわらず、何故そこでの発言がこれほどまでに問題となり、そうしたプライバシーのある場所での物言い を咎められているのでしょうか。

私が起こしたとされる問題は、果たして盗聴がなくても存在した問題なのでしょうか。



先に結論を言ってしまうと、要するに私へのガスライティング工作は、「私に問題があったから行われた」ので はありません。

「私を問題にするために行われてきた」のです。


これらの事は、上記のようにファンロードが私の投稿を保存し、ライブラリーを作って無断でさらしている事 に端を発しています。

そこまで問題があるとしておきながら、ファンロードが私の投稿を止めず、放置し、その投稿物を保存蓄積して きた理由。


それは勿論、「止めるよりそのまま書かせてネタを集め、後で吊るし上げる方がはるかにおもしろい」からです。
(ですよね。ファンロードさん)




実のところこうしたことは、マスコミ媒体などではよく行われていることなのかもしれません。

同時期に私は現在では出版社ごと廃刊になったあるゲーム雑誌にも投稿を行ったことがありました。

その雑誌の読者投稿欄では、次世代ゲーム機をめぐって言い争いが繰り広げられていました。右を向いても左を 向いても、互いの敵対意識を持っているゲーム機についての罵詈雑言が掲載され、読むたびに苛立ちを募らせる ものでした。当初はそうしたものに関わるのは良くないと考え静観していましたが、その内我慢が出来なくなり、 とうとう私もそうした趣旨の投稿を行い、誌上に掲載されてしまいました。

正直、まさか本当に掲載されるとは思っていませんでしたが、実際に自分のそうした言葉を客観的に見ると、我 ながら胸の悪くなる文章で、多分次の号にはこの投稿への反発が載り、泥沼のような応酬が繰り返されるのかと 思うと、後悔の念で気が重くなりました。その後私は自分の文章が行き過ぎていたことを反省する文章の投稿を 行いました。

ところが程なく、その投稿欄の内容は穏やかな内容のものばかりになってしまいました。

過熱しすぎたためにストップがかかったのかもしれませんが、それまで誌上に掲載されているものが全てだった 私には、「普通の投稿も十分にあったんじゃないか!」という方が驚きでした。結局これは、編集部側が誌上を 盛り上げるために行った煽り行為だったのです。私はその時、今度は反省の意を示したことをひどく後悔しま した。

今にして思えば、単純な煽りに引っかかっただけのことですが、2ちゃんねるをはじめネット環境によって免疫 を身につけているのが当たり前の現在とは異なり、当時の私には非常に難解な状況でした。



上述しましたが、こうした話には必ず「他人のせいにするな」という逃げを批判するかのようなレトリックが幅 を利かせます。

確かに自分自身のとる行動なのですから、半分はその通りでしょう。ですが、こうして状況を細かく考えていく と、往々にして第三者の具体的な思惑、すなわち「他人のせい」が働いているのはよくある事です。

そして、不特定多数の人間を糾弾するよりも、一人の人間に押し付けそれを糾弾する方がはるかに「楽」で、 同時に悪い意味で「楽しい」という側面は常に存在します(たとえば「いじめ」です)。
これらを無視したまま話に決着をつけることは、ベクトルが違うだけで、結局「他人のせいにする」のと同じ くらいラクな方向に走った行為でしかないのではないでしょうか。

もっとも、大抵の場合そこまで物事を掘り下げてエネルギーを使われる事などまずありません。マスコミによる タレント叩きなどは、こうした群集心理を理解して行われる「ショー」なのです。

ガスライティング工作とは、これをミニマムな世界で起こすための装置です。私の場合、セガによる盗聴盗撮、 ファンロードによる投稿物のさらし行為が、人為的にそれを引き起こし、かつ前後関係をあいまいにすることで、 同時に自身を正当化するお題目の役割を果たす、二重の意味合いを持っていました。

まとめると、私に起こったガスライティング工作は、私を例えではなく抹殺したい株式会社セガ、そして一投稿 者にしかすぎなかった私を吊るし上げてやろうというファンロード誌、意識の重さは違えど、双方の思惑により 成立してきたのです。





閑話休題





盗聴盗撮生活が始まって3年目、私は相手の正体がセガであること自体はまだ認識していなかったものの、こう いう状況をぼんやりと把握し始めていました。

しかし、だからといってそれが解決に直結するわけではありません。

ガスライティング工作被害者の生活環境は、常に探偵業者によって加害者側の掌握した世界となります。

周囲の人間は、私と直接この件について話すことを禁じられ、私からこの話を持ち出しても、とぼけて見せる ばかりです。一方で探偵業者が持ってくるガスライティング向けにフィルターを通した悪意の情報だけは伝わり ます。これは本人に弁解の余地を与えずに状況を正当化するための方法で、言うなれば日常を「魔女裁判」に することでした。

私は言いたいことも言えず、逆に日常会話を常に悪意を持った形で流布され、接する人間全てがスパイという 状況の中、周囲との関係は常にギクシャクしたものとなり、孤立するしかありませんでした。ネットやメディア 上でもそれは同様で、別なハンドルで書き込みを行ったり、立ち寄ったサイトがあると、瞬く間に素性が露見し、 依然として「批評家」「責任」といったお題目の下ほのめかし、誹謗中傷が行われ袋叩きにあうのが日常でした。



しかし、この頃から私への誹謗中傷は奇妙な形で、ヒステリックなトーンを帯び始めます。

一つには、単なるプライバシー侵害というだけではなく、私がプロットや企画のベースとしてまとめていたメモ をそのまま元にした、様々な漫画やアニメ、そしてゲームが発表され始めた事がありました。

それらは、巧妙に元ネタをごまかして描かれたものもあれば、登場人物の名前までそっくりそのまま利用して いるものまで様々でしたが、この頃を境に急激に件数が増え始めました。ソフトを習熟するための練習データは 勿論、自分がちょっとでも何かを書いたり描いたりすると、こちらがそれを形にする前に商品化され、世の中に 出回ってしまうのです。

   ※ この内容については、現在もレンタル店などに数多くのソフトとして残されているため、リスト
     アップは容易に行えます。「7」では、私の側の元原稿とそれら盗用されたものの画像比較を交えて、
     わかりやすい形でご説明したいと思います。



危機感を強めた私は鞄になるべくノートやディスクを収めるようにしましたが、全く効果はありませんでした。 トイレに席を立った間など、職場の同僚によって勝手に鞄の中をあさられてしまうのです。

実際、他人の持ち物についての感覚が麻痺してくるのか、ある時など隣の席の同僚が出社するなり「バイクに つけたバッグの中に傘などを入れておくと、落下する危険があるし危ないからやめろ」と言ってきました。私は バッグの中を開けて見せたことなどありません。となると、この男が私のバッグを勝手に物色していた事になり ます。

私は職場で強く抗議し上司は彼に注意をしましたが、彼自身は全く悪びれた様子は見せませんでした。「みんな やってることだろ」とでも言いたいかのようでした。

とにかく、こうした状況により一切の記録をとどめる行動は全て何らかの問題に直結することになり、私は メモ一つ残せず、落書き一つ自由に行うことができなくなりました。

しかしこちらが動きを止めていると、再び「努力」「行動」といったお題目の誹謗中傷が幅を利かせてきます。 私は大事な財産とも言うべきものを徹底的に略奪されていながら、同時に強い非難で追い立てられる羽目になり、 右往左往するばかりでした。



しかし、こうした一方的な風潮は、時間とともに収まるどころかどんどんエスカレートしていきました。

私の「自分の考えたものを盗まれ、盗用される」という状況は、「自分の考えたものを作家に押し付け、無理 矢理それを描かせようとする」という話に捻じ曲げられていったのです。

自分で作りたいものを勝手に奪われ、第三者の利益にされることを私が望むわけはありませんし、そもそもこの ような不自然な言い分が信憑性を持つということ自体ありえない話ですが、実はこれには作家ではなく、作家の 著作物を扱う企業側、そこからの権力を伴った指図が関係していたようです。

時系列は前後しますが、ある漫画では「未来からタイムスリップしてきた漫画家のファンが、その漫画家を椅子 に縄で縛り付け、未来で大ヒットした漫画のネタをその漫画家のためと称して無理矢理聞かせて描かせようと する」という話が描かれました。
おそらく「未来から来た」という設定は、私が以前「夢で未来に起こる情景を見たことがある」という話をした ことに由来しており、
(ただし、これはたまたまそういったことがあったというだけの単なる四方山話であり、「科学的にありえない」 と言われれば、勿論私も同意します。そしてこの話自体もまた家族しかいない場所での会話であり、それこそ 盗聴がなければ流出しえない話です)
この未来人のキャラクターの名前も私が高校時代書いていたネタ帳に描かれていた主人公の名前そのままなので、 これの元ネタが私なのは疑いようがないと思います。

正直そんな昔のネタまで晒されているのかと思うと頭を抱えるほかありませんが、私には他人が自宅の中に入り 込み、そうした家捜しが行われているのを感じていながら、働きに外出しなければならない以上、阻止するのは 不可能という状況でした。


ここから読み取れるのは、少なくとも漫画媒体の場合、盗用が作家個人や現場の意志よりも、別な存在の意志= すなわち出版社側の強制によって行われていたということです。

漫画は作家個人の力に負って描かれる事が多いものですが、実際には掲載する雑誌の編集サイドによって、市場 の選択や読者層に対応した紙面の編成が考慮され、それに合わせた形で企画が立ち上がり、むしろその企画に 合わせて作家の側が選定される、というケースの方がはるかに多いのが実情だと思います。

つまりこの頃の状況は、ただでさえ編集サイドの意向に合わせて漫画を描かねばならない作家側が、さらに企画 意図もへったくれもなく、ただただ「私の言うこと」に合わせて描かねばならない、という意味不明な経緯から くるフラストレーションにより起こった、集団ヒステリー現象とも言うべきもののようでした。


しかし、だとすれば何故、そうした企業側が急激に私からの盗作盗用に参加し始めたのでしょうか。

この背景には、当時既に3年間私へのガスライティング工作を行ってきたセガが、大きな方針転換を行った事情 がありました。





一ヶ月の工作費用95万円。成功報酬20〜60万円。

これは「別れさせ屋」で検索すると表示される、国内のある探偵業者がネットに出しているガスライティング 工作一ヶ月にかかる代表的な基本料金の一つです。現在ではこのようにかなりリーズナブルな(というのもなん ですが)金額になりましたが、私への工作が行われ始めた96年当時の非合法活動の相場はもう少し高めな設定 だったようです。

加えて、私自身は暴力団関係者のような危険性のある人間ではありませんが、一方でほぼ24時間の監視とそこ での行動の形跡を全て記録しなくてはならないという条件がありますから、実際にはこの倍近い金額が毎月セガ の予算から支払われていることになります。

仮に月額150万円と考えると、年間1800万円、低めに見積もっても3年間で実に5000万円以上(現在 に至っては恐らく数億円規模)が私一人を陥れるために使われてきた事になります。考えるまでもないことです が、正気の沙汰ではありません。



最初の3年間、こうした活動は主に私の悪評を流し、自殺に追い込むために行われてきました。当初のセガの 目論見では、恐らく数ヶ月もすれば私は自殺にいたるだろう、という認識だったのだと思います。事実、私は 経済的にも精神的にも、それに見合うだけの実害をこうむってきました。

また、前述した工作業者のスパイを務めた「友人」も、私が疲れ落ち込んだ顔を見せるたびに「お前は本当は何 にもつらい想いなどしていない、本当につらかったらもっとボロボロにならなければならない」という言葉を 繰り返し、暗にもっと思いつめるよう促してきました。本人に自覚があったかはともかく、これらはまさしく私 を自殺させるために行われた心理的な追い込みでした。

しかし、セガの予想に反し、私は3年経っても死にませんでした。これはセガにとって予想外のことだったよう です。

セガは直接私に対しては容赦なく嫌がらせを行いましたが、一方で私の悪評を自分で流す関係上、さすがに「 自殺させようとしている」などとは口に出せません。対外的にはさも「世話でも焼いている」かのように振る舞い、 (私が日常で特定の人物ともめた時、その人物に圧力がかかるのはこうした背景がありました)のぞき行為で 得た様々な私の個人情報をまるで世間話ででもあるかのように吹聴するのでした。



しかし、こうした工作活動も3年を過ぎると、さすがに投入した金額が大きくなりすぎてしまいました。

そこでセガは、こうしたのぞきを、何らかの形で「ビジネスモデル」として扱うことを考えました。
すなわち、私の盗聴情報に「影響力」をつけて流布することにしたのです。

具体的には、私に「天才」という宣伝文句をあてがい、「天才の言葉に従って商売をすれば大もうけ間違いなし」 というわけのわからない理屈で多くの企業に私の個人情報を商売のタネ、アイディアとしてばら撒き始めました。 「1」で行った書き込みで、私の書いた内容が新聞や経済誌の話題になっていたこともこれに影響しました。

そしてこうした私の言動に逆らうことは、何らかのタブーででもあるかのように扱われていき、この頃から私に は、「宗教家になろうとしている」という揶揄が付きまとうようになりました。

言うなれば、この頃は私へのガスライティング工作が「自殺モード」から「宗教モード」にシフトした時期と 言えました。

実際のところ、これらがどのような仕組みでセガの利益につながるのかは私にもはっきりしません。

しかし、同時多発的に盗作盗用が行われるようになったことから見て、これが明確な利益計算に基づいた計画に よって行われていたことは間違いないでしょう。漫画は勿論ですが、ゲームやアニメなどは安易な発想ではすま ない制作費が一時に動きます。よほどはっきりとした理由や確信がなければ、それらに盗作ネタを用いる事は ありえません。

もっとも、そうした流布を行ったセガ自身の本音はどうかといえば、私の言うことが役に立つなどとは全く考え ていなかったはずです。現にこの当時セガが私がらみで作った商品といえば、自身ののぞきをゲーム化した「 ルーマニア#203」ぐらいです。他者には「大もうけ間違いなし」と吹聴しながら、自分は何一つそれが成果 をあげられるなどとは、考えていなかったのです。





こうして、権力側からの私に対する扱いは腫れ物に触るようなものへと変わっていきますが、その一方、現場 サイドからの憎悪は日を追って凄まじいものになっていきました。

もともと言論統制や完全な人心掌握など、ナチスや北朝鮮だって完全には果たしえなかった代物です。まして 表面上はともかく、オタク相手にそんなものが通用するはずありません。

彼らはけして怒りの矛先を権力へは向けません。代わりに、そうした憎悪を作品中で私に向けて次々と織り込み、 ぶつけ始めました。



それらに共通しているのは、単に誹謗中傷や罵詈雑言というだけではなく、しきりに大義名分をたてて、私の方 にとてつもない悪意があるものとして描いていくところにありました。

私にとっては、何事もなく周囲と良好な関係を築きながら日々を暮らせれば、それに越したことはありません。 しかし、彼らにとってそうした私の生活態度全ては極悪非道な本性を隠し、自らをキレイに見せ、他人をたぶら かすための悪業として扱われました。

あるクリエイターは、「この世に裏のない人間など存在しない。そういう風に見せるのは、他人の関心をかい、 自分の支配下に置こうという魂胆によるものだ。こういう人間は自分のことしか考えておらず、世の中を私利 私欲のために悪くするだけであり、こいつの言うことに味方する人間は全て騙されている。こいつは悪の権化 そのものだ」という持論を展開していました(直接私の名前を挙げるわけではないので説明が難しいのですが、 大体こういう内容で間違いありません)。
それはまるで、この世の中で起こる全ての悪事が私のせいで起こっているかのような内容でした。


私にしてみれば日常を普通に生活しているだけであり、他人と比べてみても取り立てて大仰な振る舞いや反社会 的な活動を行っていたわけではありません。盗聴盗撮で勝手にこちらのプライベートに踏み込み、さらし者に した挙句、そこで悪事を働いていないからといって、それがとてつもない悪事だと存在の全否定をするこの クリエイター氏の言い分は、私にとって宇宙的理論とでも言うべき、全く持って理解を超えた話でした。
そもそも私はそうした盗聴盗撮によって一銭の利得も得ていないばかりか、仕事や就職をことごとく妨害され、 精神的にも十二分な苦痛を受けてきています。これ以上どんな目にあえば自分が悪人ではなくなるのか、私には 想像もつきませんでした。

しかし一方で、こうした風潮には容易に異議を唱えられない、ヒステリックなパワーが伴っていました。私への 攻撃にまわる側の人間にとってこのクリエイター氏が語るような内容は、何の辻褄も合っていないにも関わらず、 確固たる正当性を持った大義名分であるかのように扱われていきました。これらは本人との直接対話を禁じる、 集団ストーカーならではの状況かもしれません。
「被害者の方が悪」という大義名分は、内容の出来など関係なく、それがあること自体が私にとって脅威でした。 大義名分がある(あると錯覚させる)、ということは私へのストーカー行為から一切の歯止めをなくさせていく からです。

彼らの言う私の存在は宗教家、アジテーターともいうべきもので、それは普通ならありえない誇大妄想とも言う べき代物です。しかし、今にして思えば、こうした私の盗聴情報に権力側から影響力を持たせようという意図が あったのならば、その業界で働く人間にとっては確かに世界を揺るがすようなものであり、けして誇大な イメージではなかったのかも知れません。それだけに、私への罵詈雑言は容赦のないものでした。



いくつか例を挙げましょう。

民法で放送された後WOWOWで改めて放送され、映画にもなったあるSFアニメでは、「スクラッチ」という 名前がつけられた、人々を騙し洗脳して集団自殺に追い込む悪の新興宗教組織が登場しました。このスクラッチ という単語は「引っかく(スクラッチカードのスクラッチです)」という意味合いのほかに「無から有を創造 する」といった含意を持ち、当時ネット上のイベントに参加するため仮サイトを作った私は、全く同じ意味合い でサイトにこの名前をつけていたのですが、番組中でもこれとそっくりそのまま同じ説明が行われました。

あるアニメでは、甘言と汚物で作ったまやかしの宝物で人々を騙そうとするが、一度それを拒絶されると凶暴な 本性で暴力を振るうヘドロのような怪物として描かれました。

またある漫画では、自分のアイディアを使えとストーカーをして回り、自分がファンの女性作家を恐怖に陥れる 精神異常者として描かれました。

そしてまたある作品では昼間は誰にも認められずに惨めな生活を送っているが、夜になると金属バットで通行人 を撲殺して回る連続殺人鬼として描かれました。


これらは時期こそ前後するものの、私へのガスライティング工作が「宗教モード」で行われていた当時作られた 中傷作品のごくごく一部です。いずれも私の本名をもじった名前がつけられていたり、つい最近自分が行った 発言やネット上の書き込みをセリフに織り込まれたり、私や私の描いた絵に似せたキャラクターが使われ、必要 以上に意識せざるを得ない内容でした。



加えて、この頃から「とにかく私に絡んで自分の名前を書かれたり話したりされれば、自分の作品が注目され、 大きな資金が流れ込み、アニメ化などメジャー展開への道が開ける」という認識が生まれ始め、とりあえず 何でもいいから私に自分の名前や作品名をしゃべらせようと考える漫画家が続出しました。彼らは私と何の接点 がないにもかかわらず、むやみやたらと猛烈な罵声を叩き込んできました。時には我慢しきれずその作品や作者 の文句を話してしまうこともありますが、結果彼らが目的を果たせずに権力によって黙らされるだけに終わって も「私が権力を使って横暴を働いた」という認識になって、私はさらに多くの攻撃を集めることになりました。

私は彼らにとって、一攫千金につなげるための道具であるのと同時に、自身を「権力に立ち向かう気骨のある 人間」として安全に演出するための「格好のサンドバッグ」でもありました。やがて、こうした風潮は作家に 限らず雑誌の記事などにも現れ始めました。自分を利用されないようにするために、私は目と耳をふさぐほか ありませんでしたが、メディアの氾濫する現代において、事実上それは不可能な事でした。


私は重い疲労感と恐怖心を慢性的に抱えるようになっていきました。




一方で、中には逆にそうした私の立場を擁護する人も存在しました。

そのこと自体は確かにありがたいことだと思います。

ですが、そうした人たちが語る私の言い分とは、やはり私がプライベートで話したこと、すなわち盗聴盗撮に よるものばかりでした。そうした人たちが擁護してくれればしてくれるほど、私にとってはプライバシー侵害が 行われている現実を意識せざるを得なくなっていきます。

また、その擁護の仕方も、私の言うことを盲目的に信じている、というものがあり、これでは本当に宗教のよう です。こうした状況は、私への盗聴盗撮を大金をつぎ込んで行ってきた側(セガ)にとって、まさに望みどおり の展開でしょう。

擁護をされたらされたで、それらはやはりストレスのタネでしかありませんでした。





もういやだと思いました。

単純に罵詈雑言に疲れきっていた、というのも勿論ですが、セガによる就職活動や仕事への就業の妨害は、経済 的にも私に重くのしかかっていました。
年齢がどんどん上がってしまう一方で、職務経歴として書けるような社会人経験を全くつめないのですから、 このままでは再就職出来る可能性もなくなってしまいますし、自分で作ろうとしていた作品の流出と商業的な 盗用は、将来的な目標や希望すら奪われていくということでもあります。

特に恐怖を感じたのは、こうした商業的な盗聴行為の利用が利益を出してしまうことでした。

企業の行うことで一旦利益が出るとなったものは、そう簡単には止められません。利潤の追求こそが美徳である 会社組織において、モラルが利潤よりもはるかに低く置かれるのは珍しいことではありません。
それが娯楽産業ならばなおさらのことです。

当然ながら、警察も行政も、こうしたセガのような企業の行うことには見てみぬ振りしかしないでしょう(現に そうでした)。

私は自分がどうしようもないところまで追い詰められていることを自覚していました。





そんな時、私はある学習塾の求人に応募し、内定をもらいました。

それは、一見これまでとは全く関係のない業種でしたが、実際には教室で使われる児童学習用ソフトの開発の 仕事で、ゲームとは異なるものの将来的にはフランチャイズ展開も視野に入れたもので、グラフィック全般に ついて私のほうに一任して作るという、力の入れ方によってはかなりやりがいを見出せる仕事でした。

悩んだ末、私はこの機会に自分を取り巻く異常なストーカー生活に区切りをつけようと考えました。

「(中傷を行う側にとって)自分をキレイに見せている」ことが原因でヒステリックにのぞきや嫌がらせが続く のであれば、逆の材料を用意してさえやれば向こうも気は済むし、宗教的な使い道もなくなる、三年という年月 で区切りもつくだろう、と考えたのです。



まず、当時やり取りを行っていた大学時代の友人へのメールに「やはりゲームを作るなんて自分にはとても無理 なことだった、俺にはこれ以上無理だからもうあきらめることにする」という内容のメールを打ちました。
この友人とのメールの内容は既に何度も流出していましたから、ここから広まるのは確実でした。

同時に周囲にも「ゲームとか物を作る仕事に就くのはもうあきらめた、これからは全く関係のない仕事に就いて 暮らす」ということをしゃべって回りました。


しかし、それまでの執拗さを考えると、これだけでストーカー被害が終わるとも思えませんでした。とは言え、 「3」で書いた様に、私自身はもう既に中学生ぐらいなら自殺してもおかしくないだけの目にあっています。 それ以上、自分がどうすれば「キレイに見せていない」ことになるのか、全くわかりませんでした。

その時、たまたま入った定食屋で、そこに置かれていた漫画雑誌に目を通すと、あるオタク系業界を題材にした 漫画が目にとまりました。かなりどぎつい内容のその漫画は、絵が達者なこともあり、非常にすさまじい描写が されていました。

私自身はこの分野とは全く接点がありませんでしたが、同時に「これ位やらないとダメなのかもしれないな」と も思いました。

その漫画そのものを再現するのは無理ですが、以前セールの抱き合わせでついてきた、それに近いものがあった のを思い出した私は、その漫画とほとんど同じことを再現しました。

   (※ 本来ならそれがどういうものか具体的に書くべきかとは思うのですが、あまりにもしんどいので、
      具体的な内容に触れるのは避けます。すみません)




正直、今にして思えばそこまでやる事はなかったのかもしれませんが、集団ストーカーによって、周囲の人間は 全てが敵か、そうでないとしても全く自分の被害を信じてもらえないかのどちらかでしたし、警察も行政も全く 当てにはなりません。そして、この状況によって野放しに向けられる際限のない憎悪と嫌がらせは、とっくに私 の限界を超えていました。

一方で本音を言えば、私にも全く計算がないわけではありませんでした。

それまでの3年間、私への嫌がらせは「お前が家で何をしているのかみんな知っているんだからな」と言い続け て行われてきました。ということは、私には何をしようがそれまで「3年分のアリバイがある(今となっては十 数年分)」事になります。

また、元ネタが具体的な出版物としてはっきり存在していること。何月号かははっきり覚えていませんが、19 99年前後のコミックビーム誌を探していただければ、ほとんどそのままの内容の漫画が見つかるはずです。

    (※ ただし、誤解のないように言っておきますが、だからといってこの漫画の原作者様や掲載誌様と
       私の事は一切関係ありません。あくまで私が私の都合で一方的に利用したのであり、ここで雑誌
       名を出したのは信憑性を確保するためです。問題があるということであれば、直ちに表記は取り
       消しますので、その場合はまことにお手数ですが直接お申し付けください)


もしこのことについて何か言ってくれば、その時こそこれらを根拠に反論できますし、これまで行われてきた こちらが悪人であるかのような言いがかりにも、単なるのぞきと嫌がらせの産物であり、私自身は一切そのこと について利益など得ていないことをはっきりさせられる、と考えていました。




それから私は2週間ほど様子を見ましたが、このことが話題に上ることは全くありませんでした。

それどころか、私へのほのめかしや嫌がらせそのものがぱったりとなくなったようでした。もしかしたら、3年 という区切りがついて、そろそろ終わる時期だったのかもしれない、とも思え、会社の人たちともそれほど悪い 関係にはならずにすみそうだったので、私は徐々に緊張の糸を解いていきました。

同時に、仕事の方も自分が中心になって作るのだという意識が芽生え始め、それまでやりたくともやれなかった CGソフトの勉強を毎日積極的に行うようになりました。

これだけやって何もないのだからこれで安全が確かめられた、ようやく自分のやりたいことが出来る。私は少し ずつやる気を取り戻し始めました。



しかし、この判断は全く愚かなことでした。


セガという会社がそんなに甘いわけがありません。この程度で収まるようなら、最初から数千万円も使ってガス ライティング工作など行うはずがなかったのです。




しばらくしての月曜、私が出社すると社長が妙にぎこちない態度で「君が休みの間に回線の調整で業者が工事を したけど、何もあやしい事はないから」と断ってきました。

「あやしくない」と言われて素直にあやしまないほど私もおめでたくはありません。案の定、それからすぐに 職場のPCからアクセスした私の情報は、再び流出するようになりました。

「また始まったか」と私はすぐに状況を理解しました。同時に職場の同僚からのほのめかしも受けるようになり、 社長からは作業に取り組めば取り組むほど「君はこの会社を乗っ取ろうとしているんじゃないのかね!?」と いうあらぬ疑いをかけられるようになり、俺の人間関係は再びギスギスしたものに戻っていきました。


プロジェクト自体の空気も非常に悪くなり、やがてやる気を失った俺は以前登録しておいたある派遣会社の紹介 で、名古屋にあるソフト会社に移ることになり、職場の人間のほとんどとは険悪なムードのまま自分の担当箇所 のデータを在職中にそろえきるため作業に追われました。

するとある日、パート勤めをしていた中年女性が背後からほのめかしを行ってきたのですが、それは「上記の件」 についてのことだったのです。

私はぎょっとして振り返りましたが、周囲の従業員は「おい、やめとけ」とその女性を制止しており、この話は それっきりでした。

私はかなり動揺しました。その時は思いつめていましたからそういう真似も出来ましたが、半年以上経って冷静 になると、自分でもほとんど忘れていたこともあり、かなりショックを覚えました。


その後私は名古屋に引っ越しましたが、新しい職場でも、なかなか身を入れることは出来ませんでした。

「上記の件」を意識して、私はこの後しばらく飲む打つ買うと、同年代の男性向けの遊びというものに無理矢理 明け暮れました。この頃持ち込んでいたバイクや車には発信機が仕掛けられていたらしく(休日に動かそうと するとこの期間しょっちゅうバッテリーがあがっていました)、そうした私の行動は筒抜けだったようです。 しかし、「上記の件」が話題に上ることはなく、かといってストーカーの状況は何も変化がありません。
結局こうした無駄に金ばかりかかる遊びにはなじめず、私は依然ガスライティング工作を受けながら、その後 2年近くが経過しました。




その頃は私も仕事を続けることに限界を感じ、資格試験を受けようと、専門学校に通っていました。しかしそこ にもセガの手は回り、講師や職員からは露骨とまでは行かないものの不自然な扱いを受け、試験の成績などは 全て流出していたようです。

せっかく貯金を取り崩して始めた勉強にも集中できず、わたしは今後の自分の進む道をなかなか見つけられずに 悩んでいました。


その頃の俺は国内の番組のようなほのめかしのない海外ドラマを見ることが多く、特に近年ではジュラシック パークの原作者であることでも知られる、作家マイクル・クライトンが原案となった医療ドラマ「ER」を熱心 に見ていました。


ところが、この頃放送していた第7シーズンはこれまでとは様子が違っていました。

やたらと新人の医師が採用されるまでの経過をシニカルに描き、ある黒人医師の場合など、「何の力もない新米 が先輩に向かって頑張れという無様さ」を描いて見せるなど、これまで私が受けてきた誹謗中傷そのままの内容 が頻発してきたのです。それも、どうしようもない扱いの登場人物には、私が盗まれたプロットに書かれていた のと全く同じ名前がこぞってつけられ、これまで私が受けてきたほのめかしがそのまま行われているかのよう です。

最初私はこのドラマの翻訳スタッフがほのめかしに加担したのだと考え、このことに腹を立てていました。しかし 翌週の放送で、それが間違いだと思い知らされました。


そこには私が2年前に行った「上記の件」と全く同じ行動を取る男が精神病患者として出てきたのです。


もう疑う余地はありませんでした。

セガは(この時にはもう相手がセガであることを認識しはじめていました)盗聴盗撮といったのぞきの情報を、 国内では飽き足らず、海外にまでばら撒いていたのです。




私はショックのあまり、しばらく口も利けませんでした。

クライトンは私が子供の頃、映画「大列車強盗」を見て以来、尊敬する海外の作家の一人でした。よりによって その尊敬する作家に、そしてアメリカでいくつもの賞を受賞した、お世辞抜きですばらしい完成度を誇るこの ドラマに、こんな形で名前を知られるなど私には考えられないことでした。

同時に、この事は海外にも逃げ場がなくなったことを意味しました。

私の親戚縁者の中には、海外の学校に通ったり、外国で仕事に就いたりしている人間が少なからずいます。親に もそんなに悩まされるならいっそ国外で仕事を見つけてはどうか、と勧められていました。

しかしこの件で、例え日本を離れても、セガの嫌がらせはけして終わることなどないことを確信しました。 (事実、集団ストーカーの本場は、日本よりむしろ人種差別がメジャーなアメリカやヨーロッパです)。


しばらくして気分が落ち着いたところで、私はその場にいた親に、今のドラマの内容の説明と、今後自分が例え 海外に出てもこの問題からは逃げられないこと、そして人権保護団体などを通して、セガの盗聴盗撮を告発して いくような段階になった場合、セガならば容赦なくこうした情報をさらし、親にも恥をかかせることになるかも しれない、ということを話しました。

半信半疑なせいもあるでしょうが、親は他人に危害を加えるようなことをしていないのならば気にしなくても よい、と言ってくれましたが、この直後、この件の影響はすぐに現れ始めました。



その翌日から、2年間音沙汰がなかった「上記の件」についての話は、一気に流出し始めました。

「変態」だの「変質者」だのといった揶揄が飛び始め、何を勘違いしたのかそういう事をネタにすれば売れる、 などという意味不明な商品も氾濫しました(勿論そんなものが売れるわけありません)。

また、元々こうしたジャンルの創作に真剣に携わっていた方々には、偏見を持ち込もうとするマスコミが現れ たり、勘違いをしたメーカーの企画マンからどうにも下種な仕事を持ち込まれたりといった実害も発生したそう です。

    (※ これについては完全に私の想定外でした。私としてはあくまで自分の身の上だけで完結するもの
       としてしかこの件を考えていませんでしたが、実際このジャンルを異常なものとして扱おうと
       する報道番組や、現場の真剣さを伝えようとするNHKのドキュメンタリーは俺自身も見ました。
       今更謝ってどうにかなることでもないとは思うのですが、実際このジャンルに携わっておられる
       方々には、本当に申し訳ないと思っています)


私は自分の言い分を公私共に何度も話しましたが、ほとんど黙殺されました。明らかに盗聴されている自宅や 電話でも何度も話しましたが、前後の会話の内容は流出しているのに、私の言い分についてはまるで流れること はありませんでした。

また、私に対して直接話をつけようという人間もけして現れませんでした。
それどころか、散々遠まわしにからかうような言葉をほのめかし、一様にいやらしい笑いを浮かべるばかりで、 無理に話題にしようとすれば、こちらから勝手にに話を出したかのような体裁になりかねず、そうしたこちらが 身動き取れないのを承知の上で、彼らはただ「何だよ?何か言いたいことでもあるのかよ?」という態度を繰り 返していました。
そして、その中には、私が悪人だと散々物の道理を説いていたはずの、あのクリエイター氏も含まれていたの です。

そこにはもはや大義名分などどうでもよく、ただ他人をいたぶり倒してやろうとはしゃぐ欲望が丸出しになった 顔しかありませんでした。


私は今度こそ「死のうかな」と思いました。

しかし同時に、改めて「ああ、やっぱ俺今まで殺されようとしてたんだ」という認識もはっきり抱きました。




結局、これまで俺に誹謗中傷をぶつけてきた人間の大義名分とは、本当にただの建前でしかありませんでした。

理由など最初からどうでもよく、ただ単に「自分より目立つやつは気に入らない」「自分を追い抜きそうな人間 は抹殺したい」そういった自己保身が先に立った盲目的な妬み嫉み(俺自身は、自分程度のことにどうしてそこ までの嫉妬心を覚えられるのか、いまだに理解できません)の感情を、ヒステリーのごり押しでぶつけられて いただけなのです。

流れる情報がどんなに他人の私生活に踏み込んだ内容だとしても、さんざん役立たずだと言っておきながら、 その役立たずの情報が途切れることなく流れ続ける不自然さも、それが盗聴盗撮、不法侵入といった謀略のため だと気づいていなかったから気にされないのではありません。
「気づいているが、気づいていないふりをしていた」ただそれだけのことでした。

社会的な集団で行われるため、それこそ「責任」の所在は曖昧になり、だからこそ明らかに「暴力」でしかない ことも、とぼけてさえいれば加担し続けることが出来るのです。

そしてこれは、やはり「ショー」以外の何者でもありません。大げさでもなんでもなく、「自殺」というクライ マックスを期待した、社会的な「殺人ショー」だったのです。





「上記の件」について、なぜセガが2年間も情報を止めていたのかは、親に話したタイミングで流出させ始めた ことからも簡単に説明がつきます。

一つは既にガスライティング工作を「宗教モード」の方針で行っていたので、少なくともこれまでのぞきに 費やした資金を回収するまで、都合の悪い情報を流したくなかったということ。


そしてもう一つは、「いざという時の脅迫のネタにする」ためです。

恐らく、セガにしても実際にストーカーを行ってきた工作業者にしても、3年間「お前をずっと監視しているぞ」 とプレッシャーをかけてきた相手が、今更無防備に弱みをさらすことなどもうないだろうとあきらめていたはず です。だからこそ「自殺モード」から「宗教モード」へのガスライティング工作の方針転換が図られました。

ところが、またしても予想に反し、そうしたネタを掴む事になってしまいました。セガはこの話を一旦伏せて おき、まず利益を得ることを優先して考えたのでしょう。そして万一私がこうしたストーカー工作に反抗の行動 を起こそうとしたなら、その時は「親にバラすよ」と脅迫しようとしていたのです。

私が自分から親に話した直後から流出したことからも、こうした意図があったのは間違いないと思います。


私自身はこれをもってストーカー被害の幕引きを望んでいました。これ以上長引いては、今後の人生を立て直す ことが出来ない、これだけやったんだから相手のメンツも立つだろう、これで気は済むだろう、そう思っていま した。
しかしそうした私の考えは極めて甘いものでした。


セガと、セガから請け負ったガスライティング業者にとって、「計画の終了」=「私の自殺」でしかありません。

探偵業者の多くが暴力団の表向きの資金源という話は有名ですが、事実、彼らの間ではガスライティング工作の ことを、「殺し」という暗号で呼び合っているそうです。

宗教的な使い方にしたのは、あくまで予定通り自殺させることが出来なかったため仕方なく、と言うだけのこと であり、すぐにでも死なせたい相手のその後の人生など、セガからすれば気にかける意味はなかったのです。

このネタを入手したとき、セガはこう考えたのでしょう。「今度こそ殺せる」と。




私のこうした話に対して、「いくらセガでもそこまでは考えないのではないか」と思う方もいるかもしれません。

ですが、私にはこの十数年でそうした確信を持つにたる理由がいくらでもあるのです。


同時期、実家で生活していた私は、自分がガスライティングの被害にあっていると言うことについて、何度も母 と話し合っていました。

母にすれば、自分の子供がそんな薄気味悪いことに巻き込まれているなどとは認めたくありませんから、中々俺 の話に納得してはくれません。ですが、私にとっては、自分の苦しみが理解されないことは、中傷を受けること と同じくらいつらいことでした。

ある時とうとう我慢できずに、私は自分への中傷が載った雑誌やメディアを一つづつ並べ、母に説明しました。

私そっくりに描かれたキャラクター、自分と会話したのと同じ言葉を話すキャラクター、私とほとんど同じ名前 のついたキャラクター。こうしたものを一つずつ説明していくと、さすがに母もそれ以上反論することは出来 なくなりました。母は私の話に納得せざるを得ませんでした。

その翌日のことです。

軽自動車で会社に出勤する途中、母は事故を起こしました。

交差点での正面衝突で、相手はクラウン。母の乗る軽自動車はひとたまりもなく弾き飛ばされ横転。ほぼ全損 状態で完全にクラッシュしてしまいました。

幸運なことに(本当に幸運なことに)、母は奇跡的にもほとんど怪我はなく、足を少し捻挫しただけですみ ました。私はそれほど信心深いわけではありませんが、この時ばかりは、交通事故で死んだ父が守ってくれた のかもしれないな、とまことしやかに思いました。


母は免許を取って数十年、ほとんど一度も違反も自損事故も起こしたことはありません。こんな不注意で事故を 起こしたのは、後にも先にもこの時だけでした。
そして、そうした不注意が起こった原因が、昨晩の私との話にショックを受けたことなのは間違いありません でした。

勿論私に責任はあります。ですが、セガによる集団ストーカーがなければ、私たちがこんな話をすることは絶対 にありませんでした。

間接的にせよ、セガによる工作が、危うく母を事故死させる寸前にまで追い込むことになったのです。


当然セガはこうした事情についても把握しているはずです。その前後、自宅での会話が流出していたのですから、 この時のことだって知らないわけがありません。

にも関わらず、今日までの十年以上、セガはひたすら私への盗聴盗撮、不法侵入、嫌がらせを続けてきました。 セガという企業にとって、一人殺すも二人殺すも、大した意味などないのです。


私がそう思うようになったとして、それを一体誰が否定できると言うのでしょうか。





しかし、私がそうした苦痛にさいなまれる一方で、私の盗聴情報は権力によって通常ありえないような影響力が 備わっていったようです。


名古屋のソフト会社に入る際、私は入社課題として小論文を書くように言われました。お題は「自分の仕事への 姿勢」と言うようなものだったと思います。

正直、その時の私は疲れ果てていて、「生活のため」という以上の考えは頭にありませんでした。でも、やはり 何らかの前向きなことは書いておきたい、そういう意識もまたありました。

そして、これまでのことを考えれば「仕事があって、それができるだけでもありがたいことじゃないか」という 風に思い、「仕事を楽しむ」という主題で小論文を書き上げました。

名古屋の会社に出社すると、周囲の人間はこの小論文の内容を既に知っているようでした。他の社員がすれ違い ざまに「楽しむだってよ」とほのめかしていくことも日常茶飯事です。私の意識からすれば、これは個人情報の 漏洩です。しかし、私にとってそういう反応も今更な出来事でもありました。まもなくその事は忘れてしまい ました。


翌年はシドニーオリンピックの年でした。

日ごろストレスに悩まされる私も、相次ぐ日本人選手の活躍は心躍るもので、競技の中継を見ている間だけは、 日頃の憂さを忘れることができました。

そのうちに中継は、ある陸上競技に移りました。

快走を見せる日本代表選手の走りはなんとも素晴らしいもので、優勝を決めた際には、私も思わずテレビの前で 歓声を上げていました。

ところが、競技終了後の勝利者インタビューで、その選手は「勝負を楽しむ」といった趣旨の発言を行ったの です。私は急に冷水を浴びせられたような気持ちになりました。まるで、私があの小論文で書いた内容そのもの の発言内容だったのです。

また、その後の他競技の選手を追っていくと、そちらのインタビューでも、私が小論文で書いた、別の文言と そっくり同じことを、(まるで無理矢理しゃべらされているかのように)たどたどしく受け答えしていました。

これらが流出した私の小論文を元にした発言なのは、間違いありませんでした。


私は「何考えてるんだ!」と叫びだしたい気持ちでした。

オリンピック選手といえば、多くのライバルと闘い勝ち上がってはじめて掴むことのできるスターたちであり、 一国の顔です。世界を向こうに回して真剣勝負を闘う、最高のアスリートたちなのです。

一体どういう了見で、のぞき魔風情が彼らに影響を与えようというのでしょうか。

いくら金や手柄になるからといって、世の中には手を出していいことと悪いことがあるのではないでしょうか。 どんなに飾ったところで、所詮この連中のやってることは、のぞきとゆすりたかりでしかないんだぞ!

まして、そこで使われた言葉は、生活をズタズタにされ、底辺をはいずってるような人間が、何とか人生に しがみつこうとして書いたわらのような言葉であって、一国を代表する運動選手たちにふさわしいものなどでは 絶対にありえません。


次回大会では最初から多くの選手がインタビューで同様の受け答えをしていましたが、案の定、その成績は惨憺 たるものでした。


コメンテーターを務めるプロテニスプレーヤーやプロゴルファーなど、多くの人たちがこの「楽しむ」という 言葉を批判しました。私はなんとも陰鬱な思いでそれを聞いていました。

彼らの批判は全く持って当然で、私としてもそんな風にその言葉が使われて欲しいなどと思ったことはありません。 しかしその一方、その言葉は確かに私自身が発したものでもありました。

私は、自分のプライバシーやささやかな生活信条を無理矢理引きずり出された挙句、著名人によって一方的に それを全否定される格好になり、何日も立ち直ることができませんでした。




結果的に、私は現在でも生活を続けています。

しかし慢性的なストレスから、「自律神経失調症」(探偵業者がガスライティング工作の存在を否定するのに 使う常套句「統合失調症」とは全く別物です)の症状が現れ始め、日頃からのどの奥にビー玉が詰まったような 感覚に悩まされ、突然吐き気に襲われることが常態化しています。
けして楽な日常などではありません。


「上記の件」で私は完全に閉鎖された自分の状況に区切りをつけようと必死でした。

ですが、幸か不幸か(勿論不幸です)、セガが行うこうした盗聴事業はこの件のみならず、複数のヒット商品や 受賞作品を生むことになり、俺へのガスライティング工作は、終わるどころか「弱みがあるから、こいつからは いくら搾取してもかまわない」という、むしろ最悪の状態に変化しただけでした。

今にして思えば、これはのぞき魔に土下座をして許しを請うようなものだったのかもしれません。こういう結果 になるのもある意味では当然だったのかもな、と今になって思います。


その後上記の囲碁作品が掲載された漫画雑誌では、盗聴を扱った作品「デスノート」の連載が始まりました。
それが「生意気なことを言われたから、仕返しをしてやれ」というつもりなのか、「盗聴ネタは意外と面白い からウケるかもしれない」という意図で始まったのかはわかりません。いずれにせよ、3巻ぐらいまでは私に 起こったことそのままのシチュエーションが描かれたり、そもそも「盗聴を受けている方が極悪人」というこの 設定が私にあてつけられた企画だったのは間違いないでしょう。

また、それまでオタク業界中心だった嫌がらせはこれらを境に、一般マスコミにまで広がり始め、人目を集め ようとほのめかしを行う新人のお笑い芸人や、一方的にライバル意識を抱くコメンテーターなどがあふれ、今 ではほとんど、民放のバラエティ番組に目を通すことはなくなりました。


一方で、私にはこれらの経験から「意味の通らない理屈は理屈ではない」という考えをようやく実感するように なりました。

これまでセガの尻馬に乗った人々による、ヒステリックな情動と直接言葉を交わさないというガスライティング 工作特有の卑怯さに守られた彼らの大義名分は、いざ直接理詰めで向き合ってみると、まるで砂糖菓子のような 簡単に崩れ落ちる「建前」ばかりだったのです。





     


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