3 「社会不適応者」の作り方 〜 盗聴、盗撮、就職妨害、人間関係破壊



「自分を天才か何かと勘違いして、ろくに働きもしなければ努力もせず、どんな仕事にもつくことができず、 家に引きこもって親に食わせてもらいながら、ふんぞり返って人様の仕事を見下したように品評する男」

この十年間、私に貼り付けられた人物像は、概ねこんな感じだったようです。

普通に考えて、はたして本当にこんな不自然な人間など存在するものでしょうか。

好き嫌いはともかく、やりたい事や学びたいことのある20代の人間なら、機材を揃えることや学校に通うなど、 必要な収入を確保するために仕事を持とうとするものではないのでしょうか。
いくら不況でも、そこまであらゆる仕事に弾かれるものでしょうか。
やりたいことが明確にあるのに、ただ何もせずダラっとしているものでしょうか。

勿論、こんな不自然な話、あるわけがありません。



ソフト会社を辞めた後、私は実家のある静岡に戻りました。しかし想像さえしたことのない組織的なプライバシー 侵害を受け、しかもなんらはっきりさせられなかったというショックはなかなか抜け切れず(集団ストーカーの 基本として複数の人員が共謀するので、個人で事を明確にするには大きな困難が伴います)、なかなか立ち直る ことはできませんでした。

ゲーム会社の求人に応募するにしても、すでに上記のようなレッテルが貼り付けられたのは認識していました から、色眼鏡で見られることは確実でしたし、相変わらず「セガ系ゲーム雑誌」における説教まがいのキャン ペーンは続いていましたから、もし入ったとしても再び組織的なプライバシー侵害が起こる恐れは十分にあり ました。そのためどこか決断しきることができず、なかなか身を入れることはできませんでした。

結局、これ以上この業界にこだわって時間を無駄にするのは危険だと判断した私は、地元で就職することにしま した。



一定以上の規模を持つ企業には私のことを知っている所もあったようですが、幸いにも、まもなく一つの企業に 出会いました。

電子部品の開発を行うその会社は、新人のネットワーク管理者を募集しており、面接の末ぜひ来て欲しいという 事になりました。
私自身はそうした分野に詳しいわけではありませんでしたが、会社としては既に一定の技術者を抱えており、 就業しながら直接スキルを学ぶ体制を整えるので、現時点での経験は不問とのことでした。
そして、自分にとって魅力的だったのは、自社商品のCGムービーを本格的に作成する部署を設けるが、そちら についても担当してほしいと言われていた事です。

当時、私は既にLightWave3DというCGソフトを購入したところですが、実際使ってみると、自分が想像していた よりも機能的にかなりの不満を感じていました(もっとも、実際には勉強と工夫次第でかなりカバーできたの ですが)。しかし、当時はまだハイエンドソフトといえば新車が買える位の値段設定のものしかない上、ハード もシリコングラフィックスのむやみに高価な機械でなければ、まともにCGなど作れないという迷信が本気で 信じられていた時代でしたから、事実上個人で所有するにはハードルが高すぎて、専門学校にでも入らない限り それらを習得する機会はほとんどないという状況でした。
一方で、ツクール系のゲーム製作ツールやFLASHといった個人向けの製作支援ソフトや、個人のCGムービー製作 がブームになりつつあった時代ですから、とにかく一定以上の「絵」を作る環境さえあれば道は開けるという 確信はありました。

そのため、つぶしの効く分野の技術を働きながら習得できる上、自分が本来取り組みたい分野の技術と経験を 得られるという条件は、私にとって願ってもないことでした。何より、この一年組織的な嫌がらせと、雑誌や ネットによる罵詈雑言でくたびれ果てていた私としては、打ち込める仕事を得られることと、「一緒にがんば ろう」と声をかけてもらえた事は、十分すぎるほど嬉しいことだったのです。
大変なのは予想できましたが、私はこの会社で働くことに決めました。



そうなると、少なくとも一年以上は本社のある関西に行かなくてはなりません。高校時代から付き合いのあった 「友人」に会った際、私は彼にこれからしばらく関西に行くことを話しました。彼はただ「ふーん」と聞いている だけでした。

その翌日のことです。

家に帰ると、一通のFAXが届きました。それはその会社からのもので、「今回の採用計画はすべてなかった事 にする」という内容でした。

私は呆然としました。
そしてその事を前述の「友人」に話すと、彼は「あ〜らら」と笑うばかりでした。タイミングが良すぎることも あり、この頃から私は彼の言動に違和感を感じるようになっていました。

同時に、それ以降私は県内の企業に全く就職できないようになってしまいました。それは間違いなく、何らかの 妨害によって引き起こされた状況でした。



無論当時はまだ不況の真っ只中です。何か特別な事情などなくても、社会人経験の浅い人間の再就職など簡単に はいかないのかも知れません。

ですが実際には、それだけでは到底説明できないことが次々と起こっていきました。

私は最近首都圏にも進出した、静岡県内唯一の就職情報誌を頼りに、いくつかの企業に問い合わせの電話をかけ ていました。ところがどういうわけか、その頃から急に問合せ先企業の応対は閉鎖的なものになってきたのです。


ある企業の人事担当者と話し、面接を受けることになりました。ところが、こちらの名前を告げた途端、相手は 「ああ、君の住んでいるところからウチに通うのは無理だから駄目だよ」と言って一方的に電話を切ってしまい ました。
私は唖然としました。相手にはまだ自分の住所など告げていなかったからです。


その後、私はある物流会社の面接を受けました。面接にはもう一人来ていましたが、そちらは最初からこの業種 を経験した人で、各種免許も取得しているとの事だったので、私も「ああこれはだめだな」と理解し前半で引き 上げることにしました。すると面接官が後から追いかけてきて、「君ね、こんなところでダラダラしているから、 自分の仕事ができないんだよ」などと言い出しました。
初対面の人間に、こちらの事情を全て知っているかのような態度をとられ、私はとても面食らいました。「今 会ったばかりの貴方にそんなことを言われる筋合いはないでしょう」と答えると、彼はヘラヘラと笑い、「ああ そう。じゃあ勝手に幸せになんな」と言い残し、さっさと帰っていきました。


単に不況というだけではなく、自分の行く先々の企業の様子がおかしいのは明らかでした。ところが、しばらく すると、今度はその就職情報誌自体に「こんな志望者だけは採用するな」という特集が組まれました。
その中には3人ぐらいの例になるイラストが描かれていたのですが、その3人目が私そっくり(というほど上手 とは言えませんが)だったのです。しかも、髪型は勿論、着ているスーツ、ネクタイの柄まで自分と同じで、 履歴書に貼り付けた私の写真をそのまま見て描いたとしか思えません。
これではまるで、この情報誌が掲載企業に「こいつを雇うな」とブラックリストに載せているようなものでは ありませんか。

こうなると流石に何らかの力が働いていることを意識せざるを得ません。私は、地元ではもう就職できない事を 覚悟し、その後は県外に本社を持つ企業を探して歩きました。



しばらくして私はAZ社(当時)という薬品卸業者の名古屋支店に本社を置く(当時)、「株式会社C・M・S」 という、元富士通の社員による医療機器のメンテナンスを扱う会社に就職しました。

面接時に聞かされた内容とはいささか実情が異なる事もあって、当初は気乗りがしませんでしたが、とにかく 仕事をしなければ何も始まりません。私は名古屋に向かい、この会社の寮という古いアパートに入りました。


最初は普通に働いていたつもりでした。しかし、徐々に他の社員たちの私に対する様子が、新人だから、という こと以上によそよそしいものであることに気づきました。私はここでもソフトの練習ができるようノートPCを 持ち込んでいたのですが、鍵付きのスーツケースに入れていたにもかかわらず、帰宅して起動してみると、自分 以外の誰かが、中を触った形跡がありました。

私は徐々に不安を覚えていきましたが、その内に例の「セガ系ゲーム雑誌」に目を通すと、またもこの部屋の中 で話したことや、電話した内容が流れていることに気づいたのです。カッとなった私は部屋の中で「人のプライ ベートに盗聴器持ち込んでるようなやつらが説教がましいことを言うな!」叫びました。その後、何らかの動揺 もあったようですが、状況が変わるわけはありません。
私は他の社員が私に向けるよそよそしさ以上に、彼らに不審の目を向けるようになり、日ごと口数は減っていき ました。



やがて、研修の女子社員が使っていた新しい方のマンションが空いたので、私はそちらに移るよう言われました。
部屋に入る際、上司は私にその中の一室を示し、「お前はこの部屋だけを使い、他の場所では絶対に寝泊りする な」と命じました。
嫌な予感はしましたが、逆らうわけにもいきません。仕方なく私はその部屋に荷物を移し、その部屋で生活する ことになりました。

しばらくたってのことです。ある朝の朝礼で、社長が私の方を向き、ポツリと「○○くん、ごめんね」とつぶや きました。
私はゾッとしました。これまでずっと敵愾心のある目でしか私を見ようとしなかった社長が深刻な顔で謝ると いうことは、そうしなければならないほどひどい事が私に起こった事になるからです。

その理由がわかるまで、そう時間はかかりませんでした。


この部屋には隠しカメラが仕掛けられており、この部屋での私の生活「全て」はビデオに録画され、これまでの 盗聴された会話のように、そうした画像が業界中に流され始めたのです。


    (※ 本来は「全て」がどういうことか、具体的にちゃんと説明しなくてはならないと思いますが、
       これに関しては、書くのがしんどすぎてちょっとできません。すみません)


ネットでも、「セガ系ゲーム雑誌」でも、今はもう廃刊になった当時買っていたパソコン雑誌でも、その事で 私に対する嘲笑があふれました。私にはもう、どうすればいいのかわかりませんでした。

そしてこのマンションには、毎晩仕事帰りに飲んだくれた社員たちが隣の部屋になだれ込んでくるのですが、壁 を通して「ヒヒヒ」という下卑た笑い声が聞こえるようになりました。酒に酔って押さえがきかない彼らの会話 は壁を通しても良く聞こえ、それが私のことについてのものだということははっきりわかりました。

私は毎晩、本当に気が狂いそうな想いでした。



やがて、私はいずれ自分が担当することになるということで、静岡の営業所に出向く事になりました。

その際、上司には一台の社用車を使うよう指示され、「お前はこの車だけを使い、他の車は絶対に使用するな」 と命じました。
何かあるのは明白でしたが、私は黙ってその車に乗りました。

静岡にいる間、私は実家からこの車で職場に通っていました。会社に着くと、その足でメンテナンスに回り、 その日の担当分が終了すると事務所に帰ってくるのですが、その後、私の指導を担当していた同僚は、必ずこの 車に乗ってどこかへ出かけてしまい、2時間ほどすぎ、私が帰る頃になると戻ってきて、またこの車に私を 乗せるのでした。いかがわしい気配ははっきりありました。

ある日、私は帰りの車の中で、考えられうる限り、うぬぼれている、思い上がっている、えらそう、と聞こえる ような内容を帰る間中、車内でわめき続けました。昼間あまり会話をしていないので、ただの独り言なのに、 本当に途切れなくしゃべれました。

効果はすぐに現れ、案の定、車内には盗聴器が仕掛けられていることがわかりました(隠しカメラまでは不明 です)。

自分が徐々に疑り深くなっているのは確かでしたが、同時に疑ったことが全て現実のことだったのも確かでした。
私はもうこの会社の人間を誰一人として信用などしていませんでした。



やがて出張も終わり、私は名古屋に戻りました。

私は二人の上司に会議室へと呼び出されました。そのうちの一人は、夜中、あの「ヒヒヒ」笑いをしていた男 です。
彼は口を開くなり「お前やる気あんの?」と切り出しました。他の社員に対して閉鎖的で、精気のない私の態度 が問題になっているという趣旨のようでした。

私は「あるわけないでしょう」と答えました。

相手は少しムッとしたようだったので、私はこれまでこの会社で自分に対して行われてきた盗聴、盗撮のこと、 そのせいで自分が精神状態が最悪なことを伝えました。

もう一人の上司が、彼に「何か覚えある?」と言うと、彼は思い切りわざとらしく、「はて?」と言いながら 首を傾げて見せました。


基本的に私はこれまでの人生では、概ねのほほんと生きてきた男です。今時の子のように、簡単にキレたりと いう経験もほとんどありませんが、それでも何回かはそういうことがあったとすれば、それはこの時でした。


私は「ふざけんじゃねえ馬鹿野郎」と声をあげ、「お前の下品な笑い声が毎晩壁通して聞こえてくるんだよ」と 叫びました。
二階にある親会社のオフィスまで響いたかもしれませんが、もうそんなことはどうでもいいことでした。この ままケンカになるなら、こいつに一生消えない傷の一つもつけて死んでやろう位に思っていたのです。

私が言い返すとは思っていなかったのか、二人は黙ったままでした。やがて「やる気がないんじゃしょうがない よね」とだけ言い残して話は終わりました。

私はこの会社を辞めることになりました。

この時いたもう一人の上司は、その後外回りに出た際、しきりに「俺は別に怪しいところなかったよね」と しきりにきいてきましたが、「あった」と答えると、ええ〜?と首を傾げていました。
要するに俺のいる前では一切隙を見せなかったのに、自分が疑われることに納得がいかないようでした。盗聴、 盗撮の内容がその後「どこに流れるのか」までは、まるで考えていないようでした。

そしてヒヒヒ笑いの彼の方は、車に同乗しても、それ以降口をきくことはほとんどありませんでした。



私は静岡に帰ってきました。

そして「友人」と会いました。私は彼との会話の合間にそれとなく「このスパイ野郎が」とつぶやきました。

これまでのことは勿論、前章で、私が文通している相手に手紙を書かなくなった理由を話したのはこの男にだけ だったのです。
彼はびくっと反応しました。


しばらくすぎたある日、彼の車に乗っての帰り道、突然彼は我慢できなくなったかのようにまくし立てました。

正直、彼が何を言っているのかよくわかりませんでしたが、要するに「お前がなんでもないのに大げさに気に するから悪い、お前の言うことなんか大したことはないし、俺は全然悪くない」と言うことのようでした。

高校のときの彼は、実直でまじめな信頼の置ける人間、という印象しか俺にはありません。でも、やっぱり田舎 にずっといると、ちょっとおだてられて権力の尻馬に乗せて貰う様なことだけでも、簡単に舞い上がってしまう ものなのかもしれないな、と今になって思います。
それ以降、俺は彼とは会っていません。



その後現在に至るまで、俺の状況はこの時から変わっていません。

盗聴器と隠しカメラが常時稼動し、ネットや電話の記録は常に抑えられ、行きつけの店や人間関係には片っ端 から手が回り、何かを作ればデータや記録は盗まれ、就職先には手が回ります。


結局セガは何がしたいんでしょうか。


この時のことに関して言えば、「殺したかった」と言うことだと思います。

それも、自分たちの手が汚れないように、「なるべく自殺してほしい」ということです。

実際のところ、この試みは成功しています。俺は何回か「死のうかな」って思いましたから。

もし俺が中学生くらいのときにこんな目にあっていたのだとしたら、確かにそうしていたかもしれません。俺が そうしなかったのは、年齢を重ねていたことと、学生時代どうしようもなく落ち込んだことがあり、運良くそこ から抜け出した経験が、たまたまあったからだと思います。

よくドラマなんかで「死ぬ勇気なんかないくせに」みたいなセリフありますけど、勇気がいるうちは死ぬ心配 なんかないんです。死ぬのは逃避です。「死ぬことって、意外と苦しくないんじゃないかな」って思うように なった人が死んでしまうんだと思います。

セガは、こうした人間を絶望に追い込む手段にすごく長けているのかもしれません。才能とでも言うのか。
そしてそのことに、ものすごい執念を持っているのかもしれませんね。

10年以上という年月が、それを物語っていると思います。


よく集団ストーカーの被害にあった人たちは、人間心理にものすごく精通するようになる、と言いますが、それ は本当だと思います。私自身、セガがこうした行為を行う理由が、何となくわかってきたからです。

     


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