1 発端となった事項


事の起こりは1997年2月。これを書いている現在が2007年ですから調度10年前になります。

当時、ゲーム業界はプレイステーション、ニンテンドー64、そしてセガサターンといった据え置き型ゲーム機の シェア争いが最も過熱していた時期でした。
世間的に平成大不況の只中にありながらひたすら右肩上がりの成長を続けるゲーム業界は、新聞、経済誌の紙面を 連日賑わせ、ゲーム雑誌では連日各ソフトハウスがどのハードに参入するかが大きく取り上げられました。

しかし、そうした報道がなされる一方、いくつかのゲーム雑誌では特定のハードに組することを標榜し、他の ハードについて必要以上に攻撃的な姿勢を見せるものもあり、中には特定のゲームについて毎号数ページに渡って 徹底的にこきおろす記事を掲載する雑誌もありました。
ユーザーの視点からしてみれば、自分のハマっているゲームを一方的に非難されるのは何とも気分の悪いもので、 メガドライブやマスターシステムからセガユーザーだった自分はかなり熱心なセガ擁護派になっていきました。



ニンテンドー64の発売は遅れていましたので、当初はPS、SSによる競合が中心となっていました。
ソフトハウスが参入する際の敷居が低いことからPSがソフトハウスの数から優勢だとされていたり、目玉に なるタイトルはアーケード資産の豊富なSSが有利であったりと、一進一退を繰り返していましたが、1997 年初頭、FF、ドラクエといったRPGタイトルが相次いで移籍したことで、この争いもほぼ決着がついたと いう状況でした。

一方で、セガは「大手玩具メーカー」との合併を発表し、世界有数のコンテンツホルダーになる事を標榜して いましたが、新聞雑誌の評価は概ね低く、両者の資産価値には期待が持てないのでこのまま衰退していく、 というのが大勢の見方でした。 (結局この合併は相手玩具メーカー側からの拒絶反応で立ち消えとなりました。今にして思えば、これは全く 正しい判断だったと思います)


当時、私はセガファン向けのメーリングリストに参加していました。その頃はまだウィンドウズ95が出てから 間もない頃でしたので、ゲーム好きが生の意見を持ち寄る場というと、どんな話が出てくるものか大変楽しみに していたものでした。

ところが、そこで声高に語られていたのは、どれもこれもゲーム雑誌や新聞媒体で語られているものの受け売り ばかり。そもそもこうした娯楽産業について語る時、普段直接ゲームに触れていない経済紙の書く予想はけして 当てになるようなものではありません(現在は世代も変わってきましたから、また別だとは思いますが)。にも かかわらず、当の顧客であるユーザー側がこうした雑誌の言うことにいちいち振り回されてどうするのかと、私は 非常にいらだたしい気持ちになりました。
その内、逆に挑発してくる書き込みが入ってきたこともあり、私は独自の意見の書き込みをすることにしました。



要約すると
「将来的には(当時)ネットワークが各家庭に普及することになるのだから、情報端末としてのコンピュータが 必ず一家に一台は普及することになる。
その役割をになう機械は、末端までいきわたることを考えれば一家に一台とまとめられることになるだろうが、 それには多くの煩雑さやばらばらの仕様を持つPCよりも、むしろ簡便な操作性と共通の仕様を持ち、約5年 ごとに一斉のモデルチェンジがあるゲーム機のほうが向いているのではないか。
そのため、将来的には各家庭向け情報家電としてのポジションをかけてPCとゲーム機が競合する可能性もあり うる。そうなった場合、現在のようなメーカーごとのばらばらな仕様ではなく、ゲーム機に業界標準の共通の フォーマットが誕生することもあるのではないか」
というものです。

つまりそういう次世代になった時、多くのコンテンツを抱えることは非常に有利になる、と言うわけです。



数年前になって知ったことですが、実はこうした考え方は特別新しいものではありませんでした。
作家オースン・スコット・カードの「消えた少年たち」という小説を読むとわかるのですが、アタリが失敗した 1980年代のアメリカでは、行き場を失ったゲーム製作者たちが、やはり今後の市場を考えるにあたって似た ような選択をしいられており、これは当時を知る(または当然知っていなければならない)立場の人々から すれば、ごく常識的な話だったと思います。

私自身もこの書き込みに大きなこだわりは持っていませんでした。
あくまで一般ユーザーの目から、日々新聞に目を通すことで得られる範囲の情報を基にして考えた意見です。 オーバーな表現も使いましたし、内容に矛盾(というか踏まえていない要素)があるのも承知しています。 ぶっちゃけて言えば、これで笑いものになるならそれで別にかまいませんでした。
私の意識としては、むしろこれを出発点として、発展的な議論に展開することを期待したものだったのです。


ところが、これを堺にそのメーリングリストの書き込みはぱったりと止まります。さらに複数の新聞雑誌では その書き込んだ内容について扱う「そんなことがありえるのか?」といった記事が頻出しました。
ただし、メーリングリストですからアドレスははっきりしていますし、私自身この書き込みには本名を使って いますが、こうした記事に私の名前が出たことはありませんし、問い合わせも一切ありませんでした。



その数ヵ月後、静岡県に在住していた私は、浜松にあるソフト会社に就職しましたが、そこで働くようになって まもなく、ネットの掲示板で職場の不満を書き込むようなことがあると(基本的に作業してる時間よりだべって いる時間の方が長いという有様だったので)、職場の人間がそれを皆知っている、という状態に気づきました。

いやな気配はありましたが、その後ゲーム開発部のあった東京に異動すると、今度は前日自宅の部屋や電話での 会話を翌日になると職場の従業員全員が知っており、それを何か説教がましい態度でほのめかしてくるように なりました。そうした俺が悪いとされる理由も、他のスタッフとコミュニケーションをとろうとした日は 「しゃべってばかりいる奴は悪い」となり、作業に集中しようとした日は「他人を無視する奴は悪い」という風 で、結局のところ、何か理由があってそのせいで悪いと言うよりも、先にこちらが悪い事だけが確定していて、 その理由の方が日替わりで逆転する、という感じでした。ネット上でもそれは同様で、ハンドルネームを使用 していても、発言内容、また閲覧履歴まで把握されているようでした。

また、実作業についてもいちいち不自然な手順を選んでは、それを強要されており、無理矢理「使えないヤツ」 というレッテルを貼り付けられていました。何がなんだかわからず、時間も極めて限られていましたから、どう すればいいのか知ろうと他のスタッフの仕事を背後から見て回りました。すると、彼らは私に指示したものとは まるで違う(普通の)手順で作業を行っていたのです。



これがあくまで一個人対その職場というだけの図式であれば、私ももう少し冷静に対処できたかもしれません。

ところが、現在も名前を変えて存続している「セガ系ゲーム雑誌」では、その頃から直接私の名前こそ出さない ものの、「お前が家で何をやっているのかみんな知っているからな」とか「新人が上に屈服しないのは悪である」 というような記事を(なにしろ直前に自分が自宅や電話で話した会話やメールの内容とからめてくるので、気に しない方が無理でした)、まるで何かのキャンペーンのように毎号載せ始めたのです。
それは言葉の上では「技術を尊重しそれに敬意を払え」というように見えるものでしたが、実際にはむしろ 「少しでも技術を身につけようとすれば必ず潰してやる」という恫喝を含んだものでした(事実、その後十年 以上、俺はそうした状況に押し込められることになります)。

現在のようにネットや2ちゃんねるが普通になった世の中とは違い、当時は芸能人でもないものが活字に直接 攻撃されるというのは相当なプレッシャーで、まるで世の中全てが悪意を持って自分を攻撃しているかのような 感覚にとらわれ、視野狭窄の中あらゆるプライバシーを失った私は、連日相当な疲労が蓄積していきました。


しかしそのうちに、その雑誌で紹介されるゲーム記事のコラム中で、あるソフト会社のプランナーという人間が、 ありがたいお話と称し「(単なる受け手が)エラそうなこと言うからそういう目にあうんだよ」「(自宅の会話 だろうがどこでの会話だろうが)口は災いの元だねェ、コワイコワイ」などとからかうような事を書き始め、 「他人の家に盗聴器や隠しカメラ仕掛けたのぞき魔連中が、ぬけぬけと何説教がましいこと言ってやがるんだ」 と頭にきた俺は、その日のうちに、広告代理店に勤める知り合いに連絡をつけ、その後相談がてら、その盗聴 されている電話で、全く関係のないことを、全く正反対な内容で、全くもってエラそうに喚き散らしました。
(例えば、ライトウェーブという3Dソフトを自腹で購入し、覚え始めたばかりなのに「ゲームに3Dなんか いらねえ!」と叫んだり、当時ラストが議論になっていたエヴァンゲリオンなどについてです)


翌日出社すると、職場の雰囲気はまた別の緊張感に包まれていましたが、いずれにしても、盗聴で人の会話を 盗み聞くことはあっても、目の前にいる本人にその文句を言ってくる気配は全くありません。俺自身もそこで それ以上働く気持ちは失せていたので、親や前述した広告代理店の知り合いの進めもあり、まもなくその会社を 辞めることにしました。
辞める際、私は上司にとても恥ずかしい気持で(自分から口にするには、まるで自意識過剰な精神異常者のよう だからです)盗聴のせいでやめる事を話しました。上司は否定しましたが、その後ろで静まりかえっている他の スタッフたちの間ではしゃぎまわっている人間がいたのも事実です。


(ちなみに、この時開発していたソフトですが、私を追い出した後、結局彼らは自力で完成させることができ なかったそうです。気に入らないのはそうやって「役立たず」として俺を追い出したにもかかわらず、後年浜松 の企業で研修に行かされた先でこの時の担当者に再会した際には、完成できなかった理由が「私が途中で抜けた ので間に合わなかった」とされていたことです。
おかげで当時の社長には「君の事情はみんな知っているが、それでも僕は雇ってやったんだ」と猛烈に恩に着せ られてしまいましたが、正直何も言う気にはなれませんでした)


結局、私の言い分の一切は無視され、俺が辞めた公式な理由は「仕事の重労働についていけなかったから」と いう事にされてしまいました。



今にして思えば、これはあらかじめ予定されたシナリオに沿っておこった事なのでしょう。当の本人だけが、 何が起こっているのかわからないうちに、周囲から悪意の集中砲火を浴びた挙句、まんまと「出るくいを打つ」 シナリオ通りに弾き出された、ということです。

その後、俺は実家に帰りましたが、ショックでしばらく何も手につかない状態でした。雑誌やネットでの様子を 見ると、この時のことが「口だけはエラそうだが、実際には何の役にも立たない男が、仕事の大変さに逃げ出し た」という形で流れているのは何となくわかりました。ネット上での行動も相変わらず監視下に置かれており、 ハンドルを変えても書き込みを行うとたちまちこちらの素性が露見し、言いがかりをつけてくる人間とそれを 冷笑する人間に囲まれました。これは、プロバイダーを変更しても変わることはありませんでした。

しかしそのうちに、こうしたつきまといが、単にあのメーリングリストの書き込みをきっかけにしているのでは ないのではないか?ということに気づきました。
というのも私は私で、このこと以前にもつきまとわれる心当たりがあったのです。

きっかけはエヴァンゲリオンでした。

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